アタシの生い立ちを話すと、皆が驚愕し、皆が面白いと言い、皆が本にするべきと言います。でも、ここで書き出すと先に進まないので、それはいずれ他の機会に書くとしても、この “Tetsu Ikuzawa’s Sound, Music and Movies Style” を書くには、少しは言わないと、何故アタシが幼少期から欧米の “Music and Movies” に囲まれていたかが伝わりません。
この写真は、若かりし頃のアタシの父です。「鬼畜英米」の時代にこれですよ!もう完全に非国民ですよね!
この写真の人は、アタシを育ててくれた人です。アタシが物心ついた時には、アタシは、この人と暮らしていました。彼女は明治時代にニューヨークに住んでいました。人種差別の激しい時代でしたので、アメリカに着いた時は泊めてくれるホテルがなくて苦労したそうです。勿論、飛行機なんて無い時代ですので、船で2ヶ月もかかって行っている時代です。そんな時代のニューヨークの話しを子供の頃、よくしてくれました。アタシは彼女のことを「おばちゃん」と呼んでいました。ちなみに、彼女とアタシは、血の繋がりはありません。
戦後の貧しい時代だった頃にも関わらず、幼い頃から帝国ホテルなどのウエーターが横に立っているようなレストランに連れて行かれて、彼女からテーブル・マナーを徹底的に教え込まれました。後に海外に行っても全く困ることが無かったのは、正に彼女の教育のおかげです。どこの国の、どのトップ・クラスのレストランに行ってメニューを渡されても、困ったことはありません。
アタシの子供の頃は、勿論テレビは無い時代です。進駐軍のジープを見かけると「ギブミー・チュウインガーム」と叫んでジープを追いかけていた年代です。ましてやオーディオなんて、有り得ない時代です。でも周りは、アメリカの音楽で、アメリカの文化で、満ち溢れていました。
この写真を見て! あの時代に、ちゃんとソックスを履いている!
だって上の写真から更に10年経っても、日本は、まだこんな状況ですよ。この方を見て、下駄! 彼は本田 宗一郎の長男、本田 博俊! 彼とも実に長い付き合いです。鈴鹿サーキットも富士スピードウエイも無い頃、荒川河川敷にあったホンダのテストコースで行われたレース・ミーティングの時。
フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース、シド・チャリシーと言って分かる人、このブログを見ている人の中には居ないだろーなー。
アタシのことを実の子供以上に愛してくれ、育ててくれた「おばちゃん」のことを、実はアタシはあまりよくは知ってはいません。でもダンスの好きだった彼女に連れられて、物心ついた頃から何かと言うとフレッド・アステアの映画に連れて行かれていました。Dance, Music and Movies Style は、その頃から培われています。
彼等の映画、見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て!
そして、こんなのにも父とおばちゃんに連れられて見に行っています。ミュージカル映画の代表作と言えば何と言ってもこれでしょ。1952年公開のジーン・ケリーの「雨に唄えば」。”Singin’ in the Rain” を唄いながらジーン・ケリーが踊るシーンはミュージカル映画の有名定番シーン。これ何回撮り直しているんだろと思ってしまいますが、土砂降りの雨の中で踊るシーンは圧巻です。見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て!
ちなみにジーン・ケリーの「雨に唄えば」の相手役、デビー・レイノルズは、アタシが大好きだった女優さんの一人。
1957年「タミーと独身者」の中で彼女の歌った主題歌「タミー」は、全米5週連続1位の大ヒットで、日本でもヒットしています。
ちなみにデビー・レイノルズのダンナは、歌手のエディー・フィッシャーだったって知っていますか? おしどり夫婦で有名だったけどねー・・・・・。
ちなみに「スター・ウォーズ」でレイア姫を演じていた、女優のキャリー・フィッシャーは、デビー・レイノルズと歌手のエディー・フィッシャーとの娘。
ちなみに、アタシがデビー・レイノルズを好きになったのは「雨に唄えば」ではなくて、ダンナのエディー・フィッシャーと夫婦で共演の、「歓びの街角」で。なにしろ彼女、可愛い。こんな映画を見ている人、居ないだろーなー。それにしてもアタシの記憶力、凄くない! それに、こんなのを持っているのも!
アタシが初めて知った俳優と女優さんは、初等科3年生の頃に1年上の上級生に教えてもらったゲーリー・クーパーとエリザベス・テーラー。初等科3年生の幼いアタシは、なんと浅草まで1人でブロマイドを買いに行っています! アタシが初めてブロマイドと言うものを見た時でもあります。アタシの行っていた学校が、如何にユニークだったか、そしてアタシのライフ・スタイルに如何に影響したかが分かるかと思います。ちなみに、その上級生のヒーローはロイ・ロジャースでした。ロイ・ロジャースと言って分かりますか? 分からなければグーグルして。
ゲーリー・クーパー
エリザベス・テーラーは英国の女優さんだって知っていましたか?
アタシが記憶しているロイ・ロジャースのイメージはこんな感じ。ライフの表紙になるくらいですので、どのくらいアメリカでヒーローだったかが分かるかと思います。チューインガムの包み紙に彼の写真が使われるなど、当時のアメリカの子供達のヒーローでした。
ゲーリー・クーパーの「誰がために鐘は鳴る」は、やはりその頃、父とおばちゃんに連れられて見に行っています。この映画の主演女優のイングリッド・バーグマン、初等科5年生の時、大好きだった同級生の女の子がショート・ヘアーで、イングリッド・バーグマンにそっくりだと教員室の先生達に熱く語って笑われていました! ちなみに、その子は、後に「明日という字は明るい日と書くのね」で、アン 真里子の名前でシンガー・ソング・ライターとしてブレークした子です。ちなみに、その子はアタシの初恋の人! どんな人か知りたければグーグルして。今、あの子、どうしているんだろー。
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そして、この頃の映画で外せないのは、なんと言ってもこの映画。オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」。子供心ですらも、こんなにもキュートで、こんなにも新鮮で、こんなにも綺麗な女優さんが居るんだと、身震いがする程に感激したのを今でも憶えています。彼女はこの映画で1953年のアカデミー最優秀女優賞を受賞しています。如何に素晴らしい女優さんだったかが分かると思います。 この映画は必見。 見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て。 ちなみにアタシ、この映画、何度も見ています! そして彼女を見出して、彼女の素晴らしさを引き出した監督のウィリアム・ワイラーも素晴らしい。グレゴリー・ペックも素晴らしい。最後のシーンは、何回見ても、素晴らしい! 何しろ見て!
見て! この写真1枚だけで、彼女の魅力が伝わります。
そして、この映画。1953年公開のマーロン・ブランド (Marlon Brando) の「乱暴者(あばれもの)」(原題:The Wild One )。アタシが中等生の時にオートバイを教えてくれた上級生とで見に行っています。
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アタシにモーターサイクルのことを教えてくれた2人。この2人との出会いが無ければ、アタシの “Tetsu Ikuzawa’s Sound, Music and Movies Style” も、アタシの人生も、だいぶ違っていた筈。これはアタシが14歳の時の冬、初めての遠乗りで軽井沢に行った時。
この映画を見て早速マーロン・ブランドの真似をする! 只でさえこの時代にバイクに乗っている中学生なんて皆無だけど、中学生で、こんなコスプレしている人は、もっと皆無! このレザー・キャップは、当時渋谷の道玄坂にあった「カワシマ帽子店」で、見つけています。レザー・ジャケットは田村町にあったオートバイ用品店「高間商店」に、おばちゃんとで行って買ってもらったもの。それにしてもアタシの記憶力、凄くない!
どう考えても、この時代に中学生で、これはおかしいですよね! まあ、今でもおかしいですね! でも決まってますよね! アタシ、な、なんと、ヒゲを生やしている!
このレザー・キャップ、ちゃんとおばちゃんが取って置いてくれていました!今の奥さんが見つけ出し、何年か前のアタシの誕生日に、このようにアクリルのケースに入れて、サプライズでくれました。バックの写真も彼女の作。
そしてアタシにとっては外せない、ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」。
そしてアタシのヘアー・スタイルを見て! すっかりジェームス・ディーンになりきっているでしょ。
彼は大の自動車レース好きでした。 でも、このポルシェで Salinas でのレースに行く途中の公道で事故って若くして亡くなっています。これが彼の最後の写真です。
ここで!