Tetsu Ikuzawa’s Cars Life Style

クルマはアタシの人生そのもの。77年のアタシの人生は、日本の自動車産業の歴史と共に生きてきたと言っても過言ではありません。アタシは正に日本の自動車産業界の歴史の生き証人!

これを読んでいる殆どの人達は「生沢 徹 = レーシング・ドライバー」と思っているのでしょうけど、そもそもが、アタシはレーシング・ドライバーになるなんて、これっぽっちも考えていませんでした。アタシはクルマのデザイナーになることを夢みていました。この落書きは中等部の1年生の頃、授業中に授業も聴かずにノートの裏表紙に描いたもの。まだ戦後を抜け出していない日本。あの時代に MONACO グランプリのこと、フェラーリ・テスタロッサのこと、アメリカのミゼット・レースのことを知っている少年が日本に居たなんて、実に驚きです。と、言うか、もうこれは奇跡です!

カー・デザイナーを目指して、日本大学・芸術学部・美術学科・工業デザイン科に進学、ひたすら4年間学びました。4年間、ほぼ、どの授業も皆勤! この辺からも、アタシの真面目さ、拘りが、分かるかも!

卒業制作は、スポーツカー。池袋西武デパートでの卒業制作展にて。

このチェッカーのテープ、Les Leston 製! そう言って分かる人、かなりのマニア。 それにしても、この時代に Les Leston 製のこんなものを持っているのも凄いけど、学生が卒業制作の作品に Les Leston 製のテープを使っているなんて、前代未聞!

 

物心ついた時、周りはアメリカの兵隊さんだらけ。アタシの初めてのクルマとの出会いはジープ。

戦後の貧しい日本。自転車すらもが今のように普及していない時代。たまに街角に駐めてある、この様なクルマに乗っているのは、アメリカ軍の将校か、特殊な日本人だけ。

知っていましたか? 戦後、日本に自動車産業が芽生え出した頃、日産は英国のオースティン(そうオースティン・ミニのオースティン)、いすゞは英国のヒルマン、日野はフランスのルノーを造っていたって。

これは、我が家に来た初めてのクルマ、ヒルマン。

我が家に来た2台目のクルマ、いすゞ製ヒルマン・ミンクス。信じられますか、ここは 東京の二子玉川ですよ! 東京は、まだこんな感じ。

アタシの父。後ろに見える橋は、今でもある東急電鉄の二子玉川の橋。

浅間火山レースの時。軽井沢の周辺の山道は舗装されていなくてナンバー・プレートは、すぐこんなことに。乱暴なドライビングだと父によく怒られました。

後ろ左手は、アタシの初めてのワークショップ。

父はクルマが好きで進駐軍の兵隊さんから MG-TF を購入。だから左ハンドル。「左ハンドルのクルマ」に乗ることは、つまりそんなクルマに乗れるのは「当時の日本の」ステータスだったのかも知れません。しかし豊かになった現在、右ハンドルの国の英国のクルマ、ジャガーも、ロールス・ロイスも、ランド・ローバーも、アストン・マーティンも、ベントレーも、わざわざ左ハンドルにして買う日本。今でも「左ハンドルがステータス」だとでも思っているのでしょうか。こんなことをしている国、世界中で日本だけです! 勿論、大きなお世話のハナシです。 父とは、このクルマで、よくドライブに行きました。

例えば、アメリカのクルマで最も有名なクルマの1台、フォードのムスタングと言うクルマは知っていますよね? 左ハンドルの国、アメリカを代表するクルマです。

でも、英国で売っているムスタングは、ちゃんと右ハンドルです!  アタシが今1番欲しいクルマが、この英国仕様の「右ハンドルのムスタング」! でも、日本だと左ハンドルしか売っていませんでした。多分、右ハンドルでは売れないから? これって、おかしくない?

MG は正にアタシの青春! 父よりもアタシの方が楽しんでいました!

モータースポーツの「モ」の時も無い時代。そんなものの存在すらも知らない当時の日本。鈴鹿サーキットも富士スピードウエイも、勿論無い時代。唯一モータースポーツもどきが出来たのは、日本スポーツ・カー・クラブ(Sports Car Club of Japan = S.C.C.J)と言う、1951年に進駐軍の軍人達によって設立されたクラブに入会し、そこのクラブ・イベントのヒル・クライムやジム・カーナをやるのが、日本で唯一のモータースポーツもどきを楽しむ方法でした。この写真は伊豆の長岡と言う小さな温泉町の裏山でのヒル・クライム。小さな山のふもとから山のてっぺんまでの細い道を駆けの登って、ただタイムを競うだけでしたけど、当時はそれだけでも充分に楽しかったです。

本田 宗一郎の長男、博俊クンと日本スポーツ・カー・クラブのラリーに彼のクルマ(正確には彼の父の会社の、つまり HONDA の!) MG-A で出た時。これは、まだ入会前で、メンバー2人以上の推薦をもらって、まずはゲストとして2回以上のイベントに参加。そこで礼儀作法等を会員達に審査されて、メンバー全員のオーケーが出て、ようやく入会が認められます。それは厳しい入会基準でした。

これ、当時の東京ですけど、ここがどこだかを言えたら凄い。現在は東京の重要幹線道路。でも見て、他にクルマなんて走っていない!

この写真はアタシが 16歳、高等学校1年生の時、ガールフレンドの家に遊びに行った時。ここは東京都の杉並区と言う所ですが、東京の当時の道路の様子が、この写真から分かるかと思います。

東京から軽井沢へ向かう中仙道。高崎近辺の熊谷バイパスだけが何故か素晴らしい舗装道路で、オートバイの連中は、よくここで最高速テストをしていました!それにしても、アタシのファッション、軽井沢に行くのに、この格好は凄い!しかもアタシ、まだ高校生! まるで英国人が週末にカントリー・ハウスに行く時みたいですよね!

オートバイの連中は、こんな感じで、ここで最高速テストをしていました!

その後、父は MG-B に買い換えます。ちなみにアタシは日本の MG Car Club 創立メンバーの1人。アタシのおばちゃんはニューヨークに住んでいたので英語が堪能。そこで、おばちゃんに手伝ってもらって、英国の MG Car Club 本部とのやり取りは、全てアタシがやりました。グリルの MG Car Club のカー・バッジに注目。ちなみにアタシの会員番号は2番。1番は MG の愛好家であった当時の三井グループのトップ、三井 八郎右衛門さんでした。MG Car Club は、最もマナー、礼儀作法、規律の厳しいクラブで、当時は、他の日本のクラブのお手本になっていました。

尚この MG-B は新車購入ですので、ちゃんと右ハンドルです!

大磯ロングビーチの駐車場での MG Car Club のジムカーナの時。

この写真からも、楽しそうな雰囲気が伝わるでしょ。ヘルメットのモーガンの人は、ボブ・ハザウエイ(Bob Hathaway)、センターはミッキー・カーチス。

これは、箱根ターンパイクを閉鎖して、日本スポーツ・カー・クラブがヒルクライムをやった時。公道を閉鎖してレースをするなんて、今では考えられないですよね。

先に駐めてあるクルマ Lotus Cortina も、アタシのクルマ。この時ダブル・エントリー。この Lotus Cortina では、未だ慣らし運転中で、全くエンジンを回さずに走ったのですが、それでもジャガー E タイプよりも速かった! いかに Lotus Cortina が速かったかが分かると思います。

伊豆長岡でのヒル・クライム。

右は三保 敬太郎。

金髪の人は、ボブ・ハザウエイ(Bob Hathaway)。

日産自動車が使わせてくれての追浜のテストコースでのジムカーナ。

軽井沢。

1965年「日本経済新聞」1月16日。

1965年「女性セブン」5月5日号。

1965年「マドモアゼル」7月号。

1965年「小説現代」10月号。

1966年「週間女性」。

今でもやっている毎年恒例の軽井沢での MG Car Club のミーティング MG DAY。

父はアタシに自分のクルマを乗られるのがイヤだったんでしょうね。父に買ってもらった初めての自分のクルマ、日産ブルーバード。3速コラム・シフト!

軽井沢の飛行場で。この当時のブルーバードに詳しい人なら分かるけど、既にフロント・フェースを改造している! グリルのカー・バッジは父がヨーロッパ旅行へ行った時、せっせと買い集めてきてくれたもの。

日本スポーツ・カー・クラブの大磯でのジムカーナ。あの時代にアタシ達が、どうやってクルマを楽しんでいたか、いかににクルマを楽しんでいたか、以上の写真から充分に伝わったと思います。172 は、アタシの会員番号。

172 は、SCCJ でのアタシの会員番号。これはセルロイドで出来た、ダッシュボードに置く、会員証。セルロイドって言って分かる人、居るのかしら。

2019年、な、なんと、今でも、ここでジムカーナやっている!

アタシの講演会! 生沢人気未だ衰えず!

1963年。ようやく鈴鹿サーキットが出来て、いよいよ日本で4輪のレースが行われることに。勿論、東名高速道路なんてない時代。1号線、東海道が、まだ舗装されていない砂利道のところもある時代です。箱根を越えてひたすら東海道を鈴鹿を目指します。東京の自宅を朝の8時に出て、三重県の津にある定宿に着くのが夜の8時。片道、実に12時間もかかって通っていました。このクルマ、何だか分かりますか?

1963年、第1回日本グランプリにプリンス自動車は惨敗。見に来ていた父の方が熱くなって、次はこれで出ろと、当時で言えばフェラーリ並の性能の英国のコルティナ・ロータスを買ってくれました! 「羊の皮を被った狼」の語源となるクルマです。今で言えば、HONDA N-BOX にフェラーリのエンジンを積んでいるようなクルマ。 親友の浮谷 東次郎がトヨタのドライバーとして採用され、貸与されたコロナとで、箱根へ一緒に慣らし運転で行った時。撮影者は、浮谷 東次郎。

日本に最初に輸入された Lotus Cortina 。アタシが親から買ってもらったのはここまで。これ以降は全て自分で買うなり、レーシング・カーを含めて全て自分の力で乗っています。後ろの岩に立っているのが、浮谷 東次郎。

浮谷 東次郎が HONDA S600 を買って一緒にレースに出ないかと誘ってきて、お揃いで買った HONDA S600。プリンス自動車から貸与されていたグロリアに、タイヤやジャッキ、工具類等一式を積み込んでヒロコさんが運転して、アタシが HONDA S600 を運転しての、片道12時間の鈴鹿通い。サーキットへ着くや自分でタイヤ交換。このレースに対するアタシの姿勢は、当時から現在まで全く同じままです。趣味とは、そう言うものだと、アタシは思います。それにしてもプリンス自動車のドライバーでありながら、プリンス自動車から貰った契約金で他の自動車メーカーのクルマを買ってレースに出るなんて、今ではあり得ませんよね。正に古き良き時代。

プリンス自動車のドライバーなのに、HONDA のツナギ!

たまに本田 博俊クンが付き添いで来てくれます。

Les Leston のバッグ!

このバッグ、今でも持っています。

軽井沢飛行場。

1964年、埼玉県、川口オートレース場。普段町で乗っているクルマで自宅からレース場へ行き、レース場に着いたらホィール・キャップを外してポスター・カラーでナンバーを書いてレースに出場。勝ってホィール・キャップを戻して家に帰る! そんな時代でした。ミッキー・カーチスも出ていました。

軽井沢。日本スポーツ・カー・クラブと MG Car Club のカーバッジを付けている。

東京の近郊、船橋にレース場があったって知っていましたか? そこのサーキット所有の Lotus Elan には、よく乗せてもらって、練習させてもらいました。。

My very first London cab experience in 1964. 三保 敬太郎と生まれて初めての海外旅行。1964年、東京オリンピックの年! 撮影者:ロンドンで合流の浮谷 東次郎。

見るモノ、触るモノ、全てに興奮、感激! 今の人には分からないでしょうね。

Monza, Italy in 1964. Alfa Romeo TZ.

1966年、英国で買った初めてのクルマは、ジャガー・マーク2。この写真は自分の Lotus 41 F3 が完成して、ロンドン郊外の Cheshunt と言う所にあったロータスの本社へクルマを引取に行った時。右に立っている男は、引取に行くのに付き合ってくれた、当時オックスフォードに留学していた、友人の山地三六郎、後の島田順子のダンナ。このトレーラーはスターリング・モスが手配してくれたもの。ちなみにこのジャガー、雨の日にスリップ事故で全損! 英国の道が雨はツルツルだと身をもって知らされました! 幸い人はハネずに電柱にぶつかっただけで済んだのが不幸中の幸い。それにしても Cheshunt にあるロータスの本社に行っている日本人は、現在アタシ以外に他に居ないでしょーね。

この後、グッと格落ちのフォード・ゾディアックになります。でもこの辺からは、クルマとの写真が1枚すらも、ありません。ジャガー・マーク2 の写真も、この1枚だけ! いかに余裕が無かったかが分かりますよね。

Brands Hatch, UK in 1966. 引取りに行ったのは、このクルマ。

1966年、Brands Hatch でのアタシの練習車、Lotus Elan。

1967 Solitude, Germany.  ソリテュードと言うレース・コースは、知っていますか? 知っていたら、かなりのモータースポーツ・マニア。 Sututtgart のポルシェ本社に、レーシング部門のトップ、フォン・ハンシュタインを表敬訪問した時、彼が昼間は忙しいので、近所を観光してこいと、この彼のクルマを貸してくれました。

Paddock Hill, Brands Hatch, UK in 1968.

英国の踏切はこんなんです。完全に門ですよね。

Silverstone, UK in 1968. このホンダ S800 クーペでは、この小さなクルマで、英国は元よりヨーロッパ中のサーキットへ行きました。ある時など、この小さいクルマの後ろにスペア・エンジンを積んでフランスの Albi まで行ったことも。

その後、ブリティシュ・レーシング・グリーンに塗り替えます。

London in 1971. 初代セリカ。

ウィンザー城。この頃は、こんなに閑散としていましたが、今では観光客で溢れかえっていますし、セキュリティー上も、とてもこんなとこでの撮影は出来ません。

Hockenheim, Germany in 1971.

なにしろ日本のクルマなんて、1台も見かけない時代。エンジン・フードでも開けようもんなら、もうこの人だかり!

右の髭の人、後にマクラーレンのドライバーになるジョン・ワトソン( John Watson )。

Mantorp Park, Sweden in 1971.

Sweden in 1971. セルフで洗車しているとこ。

Rouen, France in 1971. 立っている人、ジャンピエール ・ベルトワーズ(Jean-Pierre  Beltoise )。

Cathédrale Notre-Dame de Rouen, France in 1971.  確かジャンヌ・ダルクが火あぶりで処刑されたとこ。

このセリカでは、北はフィンランド、スエーデン、南はコートダジュール、フランスの Circuit Paul Ricard や Pau まで、次から次へとサーキットを目指してヨーロッパ中を走り廻りました。1日に1,300キロ程を、朝から晩までドライブしっぱなし。それを3日連続でドライブして、次のサーキットにようやく辿り着きます。毎日、毎日、床が抜ける程にアクセル踏みっぱなしで走っていましたが、ただの1回すらもトラブルは出ませんでした。凄い! 1日で、これ。このフロントの汚れからもその走行距離が分かると思います。

今のようにユーロ・トンネルの無い時代。英国から大陸に行くには、ドーバー海峡を渡らなければなりません。対岸の何処のどこの港に行くかにも依りますが、フェリー・ボートですと数時間はかかります。急ぐ人達は、エアー・フェリー!

このアタシのセリカ、ポスターに。 このポスターは、全てアタシがコーディネイトしました。

アタシが乗っているのが分かりますか。横のクルマは、たまたま王室の誰かを迎えに来ていたクルマで、ちゃっかり横に並べて大急ぎで撮ったのが、この写真。当然衛兵が直ぐ飛んできて追い出されます。従ってこのワン・ショットだけ! 貴重な写真です。 でも、こんなことが出来た時代でした。 このセリカが懐かしくて、同じカラーリング、同じ仕様のを探すのですが、現在までに見つかっていません。誰か、売り物を知りませんか?

その後も MG は、いつも気になっていて、MG-TA を買ってしまいます。日本に持ち帰ったのですが、式場 壮吉が、どうしても売ってくれと言うので、彼に売ってしまいました。あんな程度の良い TA は、もう見つからないだろーなー。

1度は乗ってみたかった ROLLS-ROYCE 。

このナンバー・プレート、あります!

1度は乗ってみたかった Bentley 。これは Turbo R.

これ、特注のムートンのカーペット。あまりの高価さに、とても使えませんでした!

London in 1969. アタシの人生で初めて購入したポルシェ 911。

この時のナンバー・プレート、今でも持っています!

Regents Park, London in 1969.

Mantorp Park, Sweden in 1970.

当時の F2 は、グランプリ・ドライバーも多く出て来ます。これはスエーデンのマントープ・パークでのレースの時。地元のヒーロー、ロニー・ピーターソンを差し置いて、なんとアタシがポスターに!!! このポスターはスエーデン中に貼られていました。いかにアタシが注目のドライバーだったかが、分かると思います。

FUJI SPEEDWAY in 1971. このクルマ、日本に持って帰ります。その後売ってしまい、このクルマのことはすっかり忘れてしまい、ポルシェの「ポ」の字も思い浮かべませんでした。

40年後! このアタシのポルシェを長野の山奥の納屋で見つけます!

この人が見つけ出した人。

このクルマの生まれ故郷へ。

Porsche Classics, Stuttgart, Germany.

バラしていくと、オリジナル・ペイントのイエローが現れます。

この辺の「奇跡の再会」の物語を知りたければ、ネコ・パブリシングの「Rennsport」2008年11月号 NO.5 をヤフオクで見つけるか、ツタヤの代官山にでも行って買って読んで。

このシグナル・イエローの2台の Targa に関して、こんなことを考える人も、こんなことが出来る人も、世界レベルで見てもアタシ以外に他には居ません。ポルシェ本社が大興奮した、この企画、このストーリー、詳しく知りたければ、ネコ・パブリシングの「Rennsport」2010年6月号 NO.11 をヤフオクで見つけるか、ツタヤの代官山にでも行って買って読んで。

これも見て。

アタシが50年前に乗っていたポルシェが見つかって、そのクルマの生まれ故郷のポルシェ本社へ送り返して、ポルシェ本社が総力を上げてフル・レストアしてくれて、新車以上の状態になりました。あまりの凄い仕上がりで、ドライブどころか手を触れることすらも出来ません! 現在も触ることもせずに、そっと仕舞ってあります。そこで、乗れるアタシの 911 Targa のレプリカ、影武者を作ることにしました。そのベース車が、このクルマ。

岡崎の外車屋さんで見つけた 1972年のポルシェ 911 Targa。

これをフランスに送りました。

何をやったかを知りたければ、ネコ・パブリシングの「Rennsport」2009年9月号 NO.8 をヤフオクで見つけるか、ツタヤの代官山にでも行って買って読んで。

結局、どっちが本物で、どっちが影武者か、もう分かりません! で、この影武者も、あまりの凄い仕上がりで、結局ドライブするどころか手を触れることすらも出来ずに現在も触ることもせずに、そっと仕舞ってあります!

日産フィガロ。オプションのフィガロ自転車も!

コーチ・ビルダー (Coach Buildr) と言って分かりますか? 英国やヨーロッパの馬車時代に馬車を作っていた人達のことです。その後馬車が自動車に取って替わっても、このコーチ・ビルダー達は、自動車の車体を作り続けました。例えば英国王室のパレード用の特別なロールス・ロイスとか。例えば英国の有名なコーチ・ビルダーと言えば James Young とかがあります。何を説明しようとしているかと言うと、日産の PAO を英国のコーチ・ビルダーに送って、なんとロールス・ロイス風にしてしまいました! こんなこと考える人、やる人、アタシ以外に他に居ません。

「POPEYE」1993年6月16日号

日産パオ。

TOYOTA カリーナと言うクルマを知っていますか? もうとっくの昔に消えてしまったクルマですけど、70年代に売っていた、セリカの兄弟車。このイエローのカリーナは、セリカ GT のツイン・カム・エンジン 2TG に載せ替えています。しかもオートマ! こんなこと考える人、やる人、アタシ以外に他に居ません。

マスターエース! こんなのまでロンドンに持って行きました。

このスプラが、如何に凄いか、スプラに詳しい人なら分かります。世界で唯一の日本仕様の赤のスプラ! ペイントし直したものではありません、念のため。

初代のエスティマ。素晴らしいコンセプトのクルマでした。このクルマ、横に寝かせたエンジンが車体のセンター部分の床下に入っている! 

エスティマは、アタシの気に入っているクルマの1台で、何台も乗り継ぎました。でも、モデル・チェンジする度に、つまらないクルマになっていきます。最近、エスティマは生産終了と聞きましたけど、そうだろうなと思いました。

このクルマ、ロンドンへ。

その後、一旦、このクルマを日本に戻し、マイナー・チェンジ後のノーズに交換。

そして、又ロンドンへ! こんなこと考える人、やる人、アタシ以外に他に居ません。

これは東京用の別のエスティマ!

クルマをドライブすることが、こんなにも楽しいことだと、老若男女、ドライバーを問わずで最も手軽に感じさせてくれるクルマが、このマツダ・ロード・スターです。世界で最も売れたロード・スターだと、ギネス・レコードになったと聞き、そうだろうなと思いました。今でも造り続けていて、最新のロード・スターも海外で大好評。 アタシ、こんなにオシャレにして乗っていました。

アタシ達の年代は、皆、熱烈なホンダ・ファンです。ホンダ S600、S800 の世代です。この S2000 が発売された時、まわりはこぞって、このクルマを買いました。アタシは三菱ミニカも、マツダ・アクセラも、トヨタ・ハイエースも、ポルシェも、ベントレーも、セリカも、スマートも、bB も、エスティマも、どんなクルマでも、楽しみます。でも、この S2000、F-1 をやる、あの憧れのホンダが創るクルマとは到底思えませんでした。こんなにもつまらないクルマは珍しいです! アタシも、まわりも、全員がガッカリして、皆直ぐに売り払っています。ホンダは、このクルマ、もう造っていません! 消えました! マツダは、今でもロード・スターを造り続けていています。まあ、大きなお世話のハナシですけど。

他のページでも書いていますが、ルノーは本当にアタシ達によくしてくれました。

三菱ミニカ・ダンガン in London!

ロンドン市街の道路は、こんなのが多いです。パリでもローマでもヨーロッパの都市はみな同じ。つまりローマ時代の馬車時代からの建物もストリートもそのままだから! だからミニや Fiat 500 が生まれるわけです。日本の軽自動車は、ロンドンにはピッタリ!

Hard Rock って、ロンドンで生まれたって知っていましたか? ジミー・コナーズ(Jimmy Connors)に、世界で最も美味しいハンバーガーだと言わせたくらいに、本当に美味しいハンバーガーでした。しかも英国ですので、ナイフとフォークでハンバーガーをワインを飲みながらと、アメリカのハンバーガー屋さんとは全く別物で、それはオシャレでした。

TOYOTA Will in London.

ムスメの会社の前で。

この類いの建物が、ロンドンのど真ん中に多くあるのですが、何だと思いますか。馬車時代、馬を入れるための厩舎だった建物です。馭者や馬のめんどうを見る人達が上に住んでいました。現在は、そこを住居やオフィスにするのがオシャレになっています。つまり銀座通りを裏に入ると、こんな感じ。しかも閑静。従って不動産価格は大変に高いです!

TOYOTA Will で、ロンドンにある日産自動車のデザイン・センターに表敬訪問。面白いクルマと大好評!

アタシの乗ったクルマの中で、最もつまらないクルマの1台、プリウス。

ロンドンは市内を走るにはコンジェクション・チャージ「渋滞税」と言う8ポンドもの通行税を支払わなければなりません。これが毎日で、市内に入る度に支払わなければなりません。東京で言うと環七を境いにして、都心に入る度に毎日支払わなければなりません。この支払方法が実にめんどくさい。しかしハイブリッドと電気自動車は支払を免除されます。そこで仕方なく買ったプリウス。それでもささやかな抵抗で、こんな風にして乗っていました。

TOYOTA bB in London!  実は、これ、ダイハツのマテリア! トヨタは bB を英国では売っていません。でもダイハツは、この bB の兄弟車をマテリアの名前で英国で売っています。そこでダイハツ・マテリアをロンドンで買って、それを日本に送って bB に改修して、ロンドンに送り返しました。それが、このクルマです。こんなこと考える人、やる人、アタシ以外に他に居ません。世界中でアタシ以外に他に居ないと断言出来ます!

ムスメが、仕事がうまく行かず落ち込んでいたので、元気にしようと、近所のトヨタの中古車センターでセリカを買って、御殿場まで運んで、いつもレーシング・カーの塗装でお世話になっている塗装屋さんで、ピンクに塗ってもらう。

セリカのオプションのボディー・キットを全て装着!

そこからロンドンに送り、彼女へ励ましのプレゼント。ロンドンで Mai Ikuzawa と言えば、Pink Celica と、このクルマは有名になりました!

これはアタシのクルマではありません! ロンドンでは、この類いのクルマをよく見かけます。アラブのお金持ち達が自分の国から見せびらかすためだけに、携帯荷物として飛行機に積んで、ロンドンに持って来て見せびらかします!

ちょっと地味ですけど、ウチのはこんな感じ!

彼女は立ち直り、自分で GT-R を買うほどまでに! アタシは1ポンドもサポートしていません。納車式に立ち合いました。

「1度は乗ってみたかった ROLLS-ROYCE」から「2度目の ROLLS-ROYCE!」 このどでかいボディーを英国の細いワィディング・ロードをスポーツ・カー並に走らせます。さすが BMW !

作り手のポルシェも、アタシも、細部に至るまで拘りました。ステアリング・ホィール1部品だけでも、縫い目の違うタイプ、糸の色の違うもの、レザーの違うものなど、違う仕様のステアリング・ホィールをポルシェは何本も作り、ステアリング・ホィールの打ち合わせの為だけでも、アタシは Stuttgart のポルシェ本社へ飛びました。

Regents Park, London in 2009.

英国では、クルマのナンバーを売買出来ます。例えば RR 1 なんて言うナンバーは1千万円で売買されたりします! このナンバーは、ムスメがアタシの誕生日でプレゼントしてくれたもの。3 を E と読ませます。オシャレ。

この辺の物語を詳しく知りたければ、ネコ・パブリシングの「car MAGAZINE」2008年7月号 NO.5361をヤフオクで見つけるか、ツタヤの代官山にでも行って買って読んで。

モナコは熱海みたいなとこで、道は狭くて大きいクルマは無理です。でも、たまにはサントロッペにも、パリにも行くこともあるだろうと、小さくて荷物も積めて速くて楽しいクルマと言うとで、数多くあるクルマの中からは BMW 130 しか考えられませんでした。こんな素晴らしいクルマは久しぶりでした。今乗っても素晴らしいクルマです。でも結局ニースの DIY のお店に行くくらいしか使うことはありませんでした! ちなみに1シリーズ、現在は普通のフロント・ドライブのクルマになってしまいました。あーあ。

L for London, M for Monaco, T for Tetsu, I for Ikuzawa, 130 for BMW 130.

このクルマ、日本へ。

右ハンドルの、ポルシェ「 911 の」「 996 の」 「Targa」 が欲しくて、英国で見つけて、

ドイツのポルシェ本社に送って、

日本に送る前にポルシェ本社で整備! こんなことを考える人も、こんなことををする人も、アタシ以外に他に居ません。

60年も作り続けていて、数多くのモデルのあるポルシェの 911 と言うシリーズ、 その長い 911 の生産の歴史の中で、996 と 997 の Targa と言うモデルだけがハッチ・バックだったって知っていましたか? 911 で、最も使い勝手が良いのは、996 と 997 の Targa!

この写真で 996 Targa が、どう言うクルマか分かるかと思います。

日本仕様に直しているとこ。この人が Targa ルーフのスペシャリスト。

ある理由から、どうしても黄色の Porsche Carerra GT が欲しくって、日本は元より世界中を探したのですが中々見つかりません。 Carerra GT は 1,270台生産されましたが、黄色の Carerra GT は85台しか造らなかったからです。そうしたらアメリカのアリゾナのスコッツデールと言うとこに売り物があるのが分かり、ロンドンから LA 経由で1泊して、片道2日がかりで、岩とサボテンしかないアリゾナまで行きました。

雨の全く降らないアリゾナのクルマですので、見たとおり全くの新車状態。

ラルフ・ローレンが、いつも使っている運送業者さんに依頼して日本まで空輸。日本に到着。

無事、倉庫へ。

アメリカへよく行く人は、知っていますが、アメリカは都市であろうが、田舎であろうがピックアップ・トラックだらけ。これだけガイシャで溢れかえっている日本ですが、日本では、ほぼ全く見ることのないタイプのクルマです。アタシが言うのは日本の田園地帯や工務店の人が乗っている軽のトラックのことではありません。どでかいボディーの、どでかいエンジンの、アメリカだけでの車種です。勿論、日本の自動車メーカーも作っていますが、アメリカでしか売っていません。アタシは、このアメリカのピックアップ・トラックが昔から大好き。アメリカへ行くたびに見て歩いていました。アメリカでは、このピックアップ・トラックだけでのレースがあるくらい。

ダッジ・バイパーと言うスポーツカーを知っていますか? 8リッター、V10 のどでかいエンジンを積んだ、アメリカのモンスター・カーです。

そのエンジンを、なんとピックアップ・トラックに積んでしまったのが、このダッジ・ラム SRT 10。それは強烈です!

これは、世界で最も過激なスポーツ・トラック。マニュアル5速で、4速でも、アクセルを踏めば、ドリキンになります。怖くて乗れません!

アタシ、4ドアー・オートマ・モデルと、5速マニュアル2ドアー・モデルの、両方を持っています!

アウトドアー・スポーツには、キャンピング・カーは欠かせません。キャンピング・カーですらも、レース風に! キャンピング・カーを、こんなレーシング風にしちゃっている人、アタシ以外に他に居ないと思います。ホィールとタイヤはミッキー・トンプソン! そう言って分かる人は、アメ車マニア!

こんなクルマ、知っていましたか? ホンダ・エリシオン(右)。

エリシオンを2タイプ同時に乗っていた人、そうは多くないでしょうね! 左のエリシオン、アルファードのパクリとしか思えませんよね。 勿論、このエリシオンと言うクルマ、あっと言う間に消えました!

1度は乗ってみたかった Ferrari 。アタシには非常に珍しいイタリー車。でも、都内を30分も乗ると、アタシもうクタクタになります!

ウチは、大のスマート・ファン。 奥さんとアタシで、1台づつ持っています!

アタシは直ぐに何か始める。

熱烈なルイス・ハミルトン・サポーターのアタシは、自分のスマートは、当時、彼の乗っているマクラーレン F1カラーに!

左は、13年間乗り続けているマツダ・アクセラ。今でも素晴らしいクルマ!

右側のクルマは、近所をウォーキングしている時、たまたま前を通ったホンダのお店で「決算セール」と書かれているのにつられて入ったところ、対応に出て来た研修で日本に来ていると言う中国の女性スタッフの対応が、あまりにも素晴らしくて、思わず買ってしまったステップ・ワゴン。

でも、乗ってみたら驚きました。とても F-1 をやっている自動車メーカーのクルマとは思えません! アクセルを床が抜ける程に踏んでもグォーの音ばかりで一向に走らないクルマ。 唯一気に入ったのは、他の多くのワン・ボックス・カーの3列目シートは左右跳ね上げ式ですが、このクルマの素晴らしいのは、3列目シートが、このように床下に平に入ってしまう! 当然、重心も低くなる。アタシのステップ・ワゴンは2列目のシートを外しているので、素晴らしい空間が生まれます。オートバイ、MTB、大型スピーカー、ホィール、大型荷物等を運ぶのに、今、一番重宝しているのは、このクルマかも。でも、あの重いシート、2列目を2台共外しているので、かなり軽量化されています。にも関わらず、走らない! 前のモデルの方がよっぽど良かったのに、なんでこんなクルマにしちゃったんだろう。

KeePer さんが近所にあって、クルマが来るとまずはコーティング。

このクルマはメルセデス・ベンツの A45 と言う、世界で最も過激なハッチバックです。この小さいボディーに 360馬力のエンジンを積み、フルタイム4駆で走らせます! アタシ、怖くて未だにフル・アクセル出来ません! このクルマは PETRONAS エディションと言う限定スペシャル・モデル。

TOM’S のスポンサーが PETRONAS だったので、整備中だったのですが、ボディーを被させて外に出してもらい、一緒に記念撮影! こんなことを考える人も、こんなことををする人も、そして、こんなことをさせる人も、アタシ以外に他に居ません!

アタシ、熱烈なルイス・ハミルトン・サポーター! 英国で、この T シャツ、買いました!

ホィールをスタンダード装着のスピードラインから、もっと軽量の RAYS に変更。

アタシ達、熱烈なルイス・ハミルトン・サポーター! 英国で、この T シャツ、お揃いで買いました! クルマから T シャツまで、こんな熱心なルイス・ハミルトン・サポーターは、日本にアタシ達以外に他に居るのかしら!

どうだ、凄いだろ!

ロンドン。 BURABUS の V – Class。

ステップ・ワゴンのあまりの不甲斐なさに、東京でも V – Class 。

ホィールを軽量な RAYS に変更。

レース場へ行く時は、ステップ・ワゴンと同じように、前列2座席以外のシートは全て外して、このようにして使っています。このクルマのベースは、ディーゼル・エンジンの商業用デリバリー・バンですが、強烈なトルクで、このどでかいボディーのクルマをアクセル・ペダルに反応してくれて、グイグイと走らせます。

ハイエースですらも、なんかしないと済まない!

勿論、このクルマも検討しました。でも結局買いませんでした。アタシが興味を持っても買わなかったと言うのは、非常に珍しいこと!

メルセデスで、アタシの最も好きなモデル、そしてアタシが思う最もスタイリッシュなメルセデス、シューティング・ブレーク。

現在一番乗っている 911 は、この 996 の Targa。ソフトな乗り心地、快適性、静粛性を求めて、ホィールを1インチ、サイズ・ダウンしています。これ、本当のポルシェ・マニア達は知っています。でも「ポルシェは左ハンドルでなきゃ」なんて言う方々には分からないだろーなー。

当時、こんな仕様で特別オーダーしていた人が居たと言うのが凄い! しかもこの人、分かっている。右ハンドル! ちなみに、この 993 型は、1995年から1998年まで生産されたモデル。

この真っ赤なポルシェとの「聞くも涙、語るも涙」の、感激のストーリーを知りたければ、ネコ・パブリシングの「Rennsport」2010年3月号 NO.10 をヤフオクで見つけるか、ツタヤの代官山にでも行って買って読んで下さい。アタシ、今でも、想い出すと涙が出てきます!

これ、何をやっているんだと思いますか?

詳しく知りたい人は、http://www.gtn-automotive.com/gtn/startseite.html

10年くらい前、アタシが初めて買ったポルシェ 964 と言うモデル。964 型は、 1989年から1994年まで製造された 911 シリーズの中の1モデル。アタシが思うに、最も 911 のオリジナルのコンセプトを残している最後の 911 。勿論、この 964 右ハンドルです!

ポルシェの中で、最も綺麗なスタイリングの 911 は Speedstar 。その中で「964 の Speedstar の右ハンドル」を世界中に探しました。現存するのは数十台もありません。ですので、まず売り物は出ません。そしたら英国のポルシェ・クラブの Speedstar 担当者が「テツ、香港で売り物が出るぞ!」 次の日にはアタシ達は香港空港に降り立っていました!

しかも、この 964 Speedstar の凄いのは、コンフォート・スペックと言う、もう本当にレアなモデル。このタイプの 964 Speedstar を持っているのは、他にブルネイの王様くらい! 大変に珍しい貴重なクルマ!

ポルシェ仲間の世界の凄いのは、見ず知らずでも、世界中何処へ行っても、歓待してくれ、面倒をみてくれます。それは凄いです! アマチュア無線の世界と、とても似ています。

最新秘密兵器! 構想1年、製作2年、合計3年を費やして完成の、新品パーツのみで組み上げた「世界一速い、世界一美しい、世界一軽量の Racing Elan」

見ず知らずのクルマを分からない人達に大事なクルマを触れられたくないので、通関も自分でやりました! ここまで自分でやる人は、アタシ以外に他に居ないと断言出来ます! マスクに赤いスニーカーが、アタシ。 羽田空港にて。
そして無事ワークショップに到着。

アタシ、御殿場に自分のクルマをレストアしたり、改造したり、整備する為のワークショップを持っています。従って自分のクルマの為のみのワークショップ。他人のクルマは、ここに入ったことは、只の1回も、只の1台すらもありません! オーディオを趣味とする人がリスニング・ルームを造ってしまったり、陶芸を趣味とする人がロクロや釜を用意し工房を持つのと同じ。

サスペンション・セッティングは、専用の治具をアタシ達自身で設計、製作して F-1 並の精度でセッティングしています。こんなことを考える人も、こんなことをする人も、アタシ以外に他に居ません。ここまで拘ってやっている人もアタシ以外に他に居ません。多分、海外を含めても。さすが元有名レーシング・ドライバーでしょ!

ちょっと趣を替えて。

堺 正章の古希のお祝いでランチに誘い、送迎はショーファー付きのメルセデス・マイバッハで! これもアタシのクルマへの拘りの一つ。

「Tetsu Ikuzawa’s Cars Life Style」を纏めるに当たって、写真を整理しました。それにしてもアタシ、実に多くのクルマに乗っていることに自分でも驚きました。でも、空白の期間が所々にあり、何故かその頃のクルマの写真が1枚も無かったりしています。多分、写真を撮っている余裕など全く無かった頃です。例えば 60年代の海外でとか。離婚して落ち込んでいた時とか! アタシの時代は主にフィルムの時代です。 現像、プリントですらが、慣れない海外で、ましてやレースしながらなんて言う時に写真で記録していくことが、如何に大変だったかは、今の人には分からないと思います。デジタルの時代になると俄然、クルマとの写真の量も増えています。まあ、ヒマになったこともありますかね! それでもアタシの写真の保存量は、一般的には群を抜いて多いと思います。しかも、ちゃんと整理されている!

基本的にはレーシング・カーは省きました。レーシング・カーはスポーツする為のみのツールと考えたからです。しかし、この項を見て頂いた方々には充分に伝わったかと思います。いかにアタシがクルマが好きで、クルマを楽しんでいるかが。

まだ高速道路を逆走はしていません! でも、いまやブレーキとアクセルの踏み間違いをする年齢になってしまいました。そんなになった今でも、アタシ、クルマが大好きです。新聞に折り込みの広告が入っていて「最後の Beetle」とか「MAZDA3 」とか「THE MINI JOHN COOPER WORKS」とか「Fiat 595 Competizione」なんて言われちゃうと、もう欲しくなります! でも ”今の” 奥さんに「アンタどこに置くのよ」と怒られて我慢しています! 見るだけでも行かせてくれません! 見に行くと買っちゃうから!

「こんなことを考える人も、こんなことををする人も、アタシ以外に他に居ません」 ばかりで、鼻についたと思います。でもこれは、アタシがどれだけ、そして誰よりも、クルマが好きで、クルマを楽しんでいるかを伝えるための表現だと思って下さい。

この項の最後に。

10人 10色、100人 100様。 ですので、誰がどうしようが他人がとやかく言うべきでないのは充分に理解しています。で、でも、こんなに豊かになった日本、もうガイシャ・コンプレックスは、いいかげんで止めませんか。海外旅行した方々は充分に分かっている筈です。右ハンドルの国の、英国でも、香港でも、オーストラリアでも、ニュージーランドでも、南アフリカでも、走っているフェラーリは、ポルシェは、ランボルギーニは、フィアットは、ルノーは、ムスタングは、ロールスロイスは、ベントレーは、メルセデス・ベンツは、テスラは、みな右ハンドルです!「ポルシェは左ハンドルでなきゃ」なんて言っている国は日本だけです!そして、そう言うこと言う人に限って、運転は下手! ちなみに下の写真はワークスのポルシェ 908。右ハンドルですけど! はい、分かっています。大きなお世話だって!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Tetsu Ikuzawa’s Fashion Style

「Fashion」と言うと、殆どの人達は、着ているもののこと、服装のことと思うかもしれません。しかし「Fashion」の意味は、それだけではありません。

「Fashion」の意味は、生き方、生き様、流儀、様式、ライフ・スタイルのことも意味します。つまりアタシの生き方が、正にアタシの「Fashion Style」です。

以下の32枚は、この10年間にアタシを取り上げた代表的なものです。「Tetsu Ikuzawa の生き方」「Life Style」「Fashion Style」に、編集者や企画者達が興味を持ったからこそ、未だにアタシのことを取り上げていると言うことになります。海外の方が多いと言うのが面白いですよね。こんな日本人が居るんだと言うことなのでしょう。

小学館から 「ビックコミック」 の増刊として、2008 年5月に発売された「ALWAYS STYLE」。「生沢 徹」に、実に50ページも割いています!  雑誌不況と言われていますが、この号、完売です。

2008年「christophorus 」6月/7月号。これは70年もの歴史がある広告業界でも高く評価されている Porsche 社の広報誌です。ドイツのポルシェ本社で全て編集され、10カ国語でプリントされてドイツ本社から世界各国に送られています。この号は、ポルシェ社創立60周年記念号です。世界中のセレブが1/4ページしか与えられていないのに、アタシ達にはフル・ページ!

2009年、英国「Porsche post」2月号。カラー6ページ。

2010年「white book」spring / summer。この表紙のクルマは、アタシの特注の Porsche 911。

2011年、英国で最も売れているポルシェ専門誌「Total 911」に取り上げられました。カラー6ページ。

2011年「PORSCHE EXCLUSIVE」。ポルシェ本社にあるポルシェ・ミュージアム発行の、ポルシェが今までに顧客の注文で特別に製作した車輌、つまり特注の車輌ばかりを集めたフォト・ブックです。その全てが車輌だけの写真ですが、アタシだけは人も一緒に載せています!

ちなみに、この記事は何のことなのかは、これを見て。

2012年、新潮社「ENGINE」2月号。表紙及びカラー4ページ。

2012年「Home Theater」AUTUMN. カラー6ページ、及び表紙。

2013年、ドイツの人なら誰でも知っている高級週刊誌「stern」9月12日号で、アタシが取り上げられました。カラー見開き2ページ。

2014年、新潮社「ENGINE」6月号。表紙、及びカラー8ページ。

地下鉄銀座線の銀座駅に、この「ENGINE」の広告が出ていると聞き駆けつける。表紙と同じ格好で! こんなことをする人、アタシ以外に他に居ません!

2014年「911 X 911」。実に300ページにも及ぶポルシェの 911 と言うモデルだけを集めたポルシェ・ミュージアム発行の写真集。300ページにも及ぶのに、日本人で取り上げられているのはアタシだけ!

2015年、ポルシェ社は「 911 」と言うモデルの生誕50周年を記念して「911 LOVE」と言う写真集を創りました。とても豪華な写真集です。世界中の 911 の熱烈な愛好家達 911 Lovers を取り上げています。日本からは取り上げられたのは 「Tetsu Ikuzawa」 ただ1人! そして何が凄いかと言うと、ポルシェ本社は「Tetsu Ikuzawa」 を撮影する為に、日本の千葉の草レース場に、ドイツから何と3人ものカメラマンを派遣して来ました!

カラー10ページ。

そしてポルシェ本社は、たったの50冊だけ、シリアル・ナンバー入りで、ポルシェ・ファミリーの為に、イタリーの美術書専門の印刷製本屋さんで、重さ13キロもあるメガ・サイズの “911 LOVE” を制作。

ポルシェ本社はアタシの為に特別にネーム入りで制作して、3冊も贈ってきてくれました!

もう1冊のナンバーは、何番か分かりますよね。

2016年3月、ニューヨークのメンズ・ライフ・スタイル・マガジン 「MAN of the WORLD」 に取り上げられました。「Tetsu Ikuzawa」に18ページも割いています。表紙にも起用され、カバー・ストーリーです! 東洋人では初めてアタシが表紙になりました。安倍首相も、ZOZOTOWN の前澤さんも、孫さんも、表紙どころか記事ですらも取り上げられていません!

アタシが表紙のこの号は大好評で、通常の号の倍の値段にもかかわらず、日本へ配本される前に、アメリカ内で完売です! このアタシの号だけ「金文字」!

2016年「Tetsu Ikuzawa」が、英国で最も人気の自動車雑誌「EVO」11月号に取り上げられました。カラー6ページ。

「Tetsu Ikuzawa」が、スイスのファッション・ブランド「BALLY」の広報誌、SPRING SUMMER 2017 で取り上げられました。見開き2ページ。

2018年、ドイツのポルシェ専門誌「9 ELF」に取り上げられました。カラー8ページ。

2018年、ポルシェ社の車輌生産開始70周年を祝う本「Porsche Brand Book」に 「Tetsu Ikuzawa 」を、取り上げました。東洋人で取り上げられているのは、生沢 徹だけ! カラー6ページ。

そもそもがこのページはラルフ・ローレンで決まっていたのが、ポルシェ本社の上層部が、それではちっとも面白くないとアタシに急遽変更になっています。

誰かがニューヨークまでラルフ・ローレンに謝りに行って、アタシのとこには、ポルシェ本社のマーケティングから担当者が直接会って説明したいと、わざわざドイツから日帰りで東京までアタシに会いに来ました。このインターネットの時代に、会って説明すると30分のミーティングの為だけに、ドイツからわざわざ日帰りでも会いにやって来る、さすがトップ・ブランドの会社は違いますよね。

2018年、ハリウッドのムービー・メーカーが「Tetsu Ikuzawa」 のドキュメンタリー映画を制作すると大挙して取材に来ました。

インタビューは5日間にも及びました。

 

アタシの “Fashion Style” は、この頃から始まりました!

初等科4年生の時。アタシのウチでやったクリスマス・パーティーに来た1年上の上級生達。彼等との出会いがアタシのその後の生き方に大きく影響しています。アタシはいつも自分よりも年上の人達との方が仲良かったです。その後モータースポーツの世界に行ってからも、メカニック達や設計担当者達、年上の人達にいつも可愛がられていました。写真に向かって左の人、この人がアタシにゲーリー・クーパーやエリザベス・テーラー、ロイ・ロジャースのことを教えてくれた人。この時代に、この年齢で、そんなことを知っている子供達が、当時、日本に居たなんて言うことが、全く異例なことです。でも、この学校へ行ったことが、アタシの「Life Style」「Tetsu’s Fashion」を決定づけています。

我が家に来た初めての自動車。このアタシの着ている皮ジャンパーは「おばちゃん」からのお下がり。

我が家に来た2台目の自動車。ここは二子玉川。まだ、のどかな田園。

これはアタシの手書きの自作! 道路に注目。東京ですらも多くの道は、この様に未舗装でジャリ道でした。

1963年「オートバイ」4月号。

高等学校1年生の時。無免許運転ではありません! 当時は16歳で4輪の免許が取れました。ちなみに上の2枚の写真は、この彼女が撮ってくれたもの。

1963年、第1回日本グランプリ。鈴鹿サーキット。勿論当時はレース用のレーシング・スーツなんて有るわけがありません。このスーツは、神田にあった普通の紳士服仕立屋さんに英国や海外の自動車雑誌を持って行って写真を見せて、それ風に作らせたもの。

このヘルメットは、当時日本には4輪用のレーシング・ヘルメットなんて有る筈もなく、工事現場用の安全帽を作っていた埼玉県大宮にある新井廣武商店(現アライ)に、海外の「AUTOSPORT」や、海外の自動車雑誌を持って行って、スターリング・モスのかぶっているヘルメットの写真を見せて創ってもらったもの。

1964年「マドモアゼル」5月号。

1964年、日本グランプリ。鈴鹿サーキット。

左の人は、スカイライン GT の生みの親と言われている桜井 真一郎。レース車輌のテストで鈴鹿詣でが続いていたけど「アタシは学業に忙しくて行けない」と言うと、アタシの大学での課題は全てプリンス自動車のデザイン室がやってくれていた! なんと卒業制作も! 正に古き良き時代。

なんで、アタシが赤のセーターを着ているのか分からなければ「生沢徹赤セーター」で検索して。

1964年、箱根ターンパイクを閉鎖して、ヒルクライムをした時。

1964年「週刊女性」9月29日号。

1965年「日本経済新聞」1月16日。

1965年「女性セブン」5月5日号。

1965年「マドモアゼル」7月号。

1965年「平凡パンチ DELUXE」。

1965年「小説現代」10月号。

軽井沢。

1965年「ヤングレディ」11月29日号。

軽井沢。

1965年「YOUNG MAN」AUTUMN。

1966年「週間平凡」2月3日号。

1966年「ヤングレディー」5月16日号。

1966年「週間女性」。

1966年「女性自身」6月13日号。

CARNABY STREET,  JOHN STEPHEN って言って分かる人は、60年代のファッションに詳しい人。ミニ・スカートを世界中に流行させたマリー・クワントなど、英国はファッションの国でもあります。まさかファッションはフランスだなんて思っていないでしょうね! この60年代の英国のファッションが、今、女の子、男の子、若い連中に注目されているって知っていました? 特に名古屋が熱いっ! 英国の60年代のファッション「モッズ・ルック」が欲しいのなら、見たいのなら、ここへ行って。

fab chic https://ja-jp.facebook.com/fabchicosu/

女の子は、これ:http://www.jeweltrash.jp

1966年、CARNABY STREET, LONDON.

アタシ、今でも英国の60年代の「モッズ・ルック」やっています!

1966年「HEIBON パンチ DELUXE」9月号。これは、アタシのファッション・レポート。

1966年「HEIBON パンチ DELUXE」11月号。これは、アタシのレース・レポート。いい写真ですねー。アタシ、写真上手でしょ。このドライバーが誰だかをサッと言えたら、凄いマニア! 少なくとも日本の自動車レースの世界では、言い当てる人は皆無。

1966年「宝石」。

1967年「F6 セブン」3月11日号。

1967年「平凡パンチ」

1967年の日本グランプリ前、VAN でのレーシング・スーツの仮縫い。

式場 壮吉がペプシ・コーラとの契約を纏めてくれる。その上、自身の会社、レーシング・メイトもスポンサーになってくれ、VAN JAC も一緒になって、皆してアタシのことをバック・アップしてくれました。この友人達無しに、今日のアタシは存在しません。

1967年「各全国紙全面広告」

1967年「週間文春」インタビューア、虫明 亜呂無。

1967年「平凡パンチ」

1967年。

1967年「少年サンデー」

1967年「ヤングレディー」5月22日号。

1967年「F6 セブン」

1967年「週間サンケイ」田 英夫、野際 陽子との対談。

1967年「若い女性」7月号。

1967年「婦人画報」7月号。

1967年、ポルシェ本社に、当時のレーシング部門の総責任者だったフシュケ・フォン・ハンシュタインを訪ねた時。近所を観光してこいと彼の 911 を貸してくれて、昔レースが行われていた公道のレース・コース Solitude を訪ねた時。

Silverstone, U.K. in 1967.

1967年「服装」8月号。

1967年「ヤングレディー」10月30日号。

1967年「週間サンケイ」11月臨時増刊」。

1968年「サンデー毎日」3月24日号。

1968年「プレイボーイ」3月26日号。

1968年「NOW」創刊号。

1968年「中学3年生コース」6月号。

アタシがロンドンから帰って来ると、羽田空港のタラップ下では、カメラマン達が待っている! まるでアカデミー・スターみたいだった! 凄くない!

そして、空港で記者会見!

1968年「プレイボーイ」4月2日号。

1968年「宝石」4月号。

1968年「週間文春」5月1日号。

1968年「週間文春」5月1日号。インタビューアー、中山 千夏。

1968年「女性セブン」5月22日号。

1968年「週間文春」6月10日号。

1968年「JAF スポーツ」6月号。

1968年「JAF スポーツ」11月号。

1968年「アサヒカメラ」5月号

1968年「アサヒ芸能」6月9日号。吉行 淳之介との対談。

1968年「女性自身 DELUXE」7月号。

1968年「平凡パンチ」8月12日号。

「ポルシェは左ハンドルでなきゃダメ」なんて言っているのは、日本だけ! 日本は右ハンドルの国なのに、ロールス・ロイスも、ジャガーも、ベントレーも、ランド・ローバーも、わざわざ左ハンドルで乗っている! そんなことしている国は日本だけ。まあ、大きなお世話のハナシですけど。

1968年「MY WAY」12月号。

1969年、JAF グランプリ、富士スピードウエイ。

1969年「ヤングレディー」2月24日号。

1969年「ヤングレディ」3月31日号。過去から現在まで、日本のモータースポーツ関係の人で女性誌にパパラッチされた人は、アタシ以外に他に居ない!

1969年「プレイボーイ カスタム」5月号。

1969年「平凡パンチ」7月14日号。

1969年「平凡パンチ」9月22日号。

1969年「ヤングレディー」12月22日号。

1969年「小説新潮」7月号。

1969年「週間新潮」9月27日号。

1969年「週間新潮」12月6日号。

1970年「週間言論」1月7日号。

1970年「週間読売」2月12日号。

1970年「平凡パンチ」

1970年「女性自身」3月7日。

1970年「プレイボーイ」4月14日号。

1970年「平凡パンチ」4月27日号。左右 33cm 大、折り込み。

1970年「週間明星」5月10日号。

1970年「平凡パンチ」5月11日号

1970年「平凡パンチ」5月18日号。

1970年「週間大衆」5月21日号。

1970年「中1時代」7月号。

1970年「平凡パンチ」7月6日号。

1971年「週間文春」1月11日号。

1971年「平凡パンチ」2月15日号。

1971年「週間小説」2月18日号。五味 康祐との対談。

1971年「週刊プレイボーイ」3月28日、4月4日号。

1971年「平凡パンチ」。

1971年「平凡パンチ」6月21日号。

1971年「平凡パンチ」7月12日号。及び、8月9日号。

1971年「平凡パンチ」5月10日号。

1971年「少年サンデー」5月22日号。

1971年「週間明星」5月16日号。

1971年「漫画サンデー」。

1971年「微笑」

1971年「Photography」6月号。

1971年「NOW」秋の号。

1971年「女性自身」11月5日号。

1971年「ザ・モーター」12月18日号。水森 亜土との対談。

1971年「プレイボーイ」11月2日号。

1971年「平凡パンチ」12月13日号。

1971年「平凡パンチ」。

1972年「平凡パンチ」2月21日号。

アン ルイス!

1972年「アサヒボウル」4月5日号。中山 りつ子との対談。

Le Mans, France in 1973.

1973年「プレイボーイ」11月2日号。

1974年「平凡パンチ」2月25日号。お相手、青木 英美。

1974年「CASA MIA」AUTUMN。

1974年「an-an」6月5日号。

1974年「an-an」7月15日号。

1974年「MISSIE」10月号。

1974年「平凡パンチ」11月25日号。

1975年「週間平凡」1月23日号。

1975年「VOGUE HOMMES」。 過去から現在まで、日本のモータースポーツ関係の人で、フランスのファッション誌「VOGUE」に取り上げられた人は、アタシ以外に他に居ません!

1975年、朝日新聞「ホームドクター」11月号。インタビュー福地 泡介。

1976年「driver」4月15日、臨時増刊号。

1976年「Pocket パンチ」7月号。

1977年「モービルハム」3月号。

1977年「平凡パンチ」7月4日号。

1977年「宝石」10月号。

1978年「ドライバー」3月号。

1978年「PRESIDENT」11月号。

1979年「平凡パンチ」5月28日号。

1979年「GALANT MEN」10月号。1979年「ミセス」11月号。

1981年「BIG tomorrow」1月号。

Le Mans 1981.

1982年「Mr. High Fashion」Summer。

「クラシックかいたい新書」

1982年「MEN’S CLUB」。なんで皆が赤ブレーザーを着ているのか分からなければ「生沢徹赤ブレーザー」で検索して。では、なんでアタシは赤ブレーザーを着てないのかって? ヒロコさんが、アタシの知らないとこで、親戚の子に上げてしまったから! 後に取り戻しました。壮吉が着てないのは、ただ太りすぎで着られなくなったから! 壮吉以外の連中は、今でもちゃんと着られます。

ネクタイとジャケット、ポロ・シャツとセーター、アタシは気に入った組み合わせが決まると、その同じ組み合わせを何回と、何年と、延々と繰り返して着続けます。周りには「又、あのネクタイかよ、テツにネクタイ買ってやれよ」と、陰口をたたかれていました! 一時は東京、ロンドン、モナコと3箇所に住んでいたので、ネクタイ、シャツ、シューズ、セーター類は、一々持って移動しなくても良いように、同じモノを3本づつ、3枚づつ、3足づつ、買っていました。でも結局は、着るのはいつもと同じ組み合わせ!

ネクタイは200本以上持っています。でも使うのは、その内の数本だけ。一番気に入っているこのネクタイは、ロンドンの Simpsons で60年代に購入したもの。ジャケットは60年代の VAN JAC 製。今でも着ています。同じネクタイで!

フランス、ボジョレー・ワイン生産協会よりソムリエに任命される!

1983年「Tennis journal」5月号。

1983年「BRUTUS」7月15日号。

1984年 Health Magazine「ジャストヘルス」2月号

1984年「平凡パンチ」3月12日号。

1984年「平凡パンチ」3月12日号。

1984年「Number」5月5日号。

1984年「平凡パンチ」7月30日号。

1984年、角川書店「Team Ikuzawa 鈴鹿8耐」写真集。

1985年「若い郵政」2月20日号。

1984年「J J」11月号。1984年から1985年の2年間「J J」のクルマのページを担当。

1985年「J J 」11月号。

1986年「MOTOR CYCLIST」4月号。

1986年「週間朝日」7月18日号。アタシが書いた「スカ G 神話」のエッセイ。

1986年、仕事新発見マガジン「ベルーフ」8月21日号。

1986年「Tennis journal」12月号。

1987年、月刊「PLAYBOY」11月号。

1987年「AXIS」Winter.

1988年「平凡パンチ」3月10日号。

1988年「Esquire」August.

1988年「Esquire」September. アタシのルマン24時間レース・レポート。

1989年「DANSEN」8月号。

1989年「SPA!」8月9日号。

1992 年「Forbes」June.

1992年「60’s goods manual」3月号増刊。

1992年「The Catazine」Summer.

「POPEYE」1993年6月16日号

1994年、英国「MOTORING NEWS」5月11日。

1994年「日本経済新聞」10月14日。

1994年「讀賣新聞」10月28日。

1994年、文藝春秋「MARCO マルコポーロ」11月号。

1995年「LE VOLANT」2月号。森本 毅郎インタビュー。

ミュージカル・スターを目指す人が、ブロードウエイのステージに立つことを夢見て、ニューヨークで皿洗いをしながらオーディション巡りをするように、アルピニストが1度はエベレスト頂上を極めたいと思う様に、テニス・プレイヤーが1度はウインブルドンのセンター・コートに立ちたいと思う様に、アタシも F-1 ドライバーになりたいとモータースポーツの本場、英国に初めて渡ったのが 1964年。実に55年も前のことです。

でも、ドライバーとしても、ティーム・オーナーとしても、その夢は果たせませんでした。そのことは 2018年9月15日にアップした “Tetsu Ikuzawa’s MTB Life” で、ほんのちょっと触れています。

小学館から 「ビックコミック」 の増刊として、2008 年5月に発売された「ALWAYS STYLE」「ずっと生沢徹だった」にも、このことは少しだけ触れています。”敗軍の将は兵を語らず” ですが、この F-1 プロジェクトに関しては、どうやっていたのかを、どうやろうとしていたのかを、いずれ別の項で書きたいと思います。

苦しい時の神頼み!?  右の額の絵は、ムスメが描いてくれたもの。

1997年「Light Up」Spring & Summer.

1998年「NAVI」1月号。

1998年「OLD BOY」6月号。1998年「CAR GRAPHIC」12月号

1998年「Men’s Ex」4月号。

1999年「Garage Life」12月号。

2000年「POPEYE」1月25日号。

2000年「Memo」2月号。

2000年「BRUTUS」4月1日号。

2000年「BICYCLE NAVI」7月7日号。2001年「ホームシアターファイル」SPRING.

2001年「DORSO」SPRING.

2001年「MOTOR MAGAZINE」6月号。

2001年「DORSO」SUMMER.

2002年「TITLE」7月号。

2003年「翼の王国」全日空機内誌8月号。

2003年「BRIO」11月号。

2003年「ホームシアターファイル」WINTER.

2004年「BEST DRESSERS STYLE BOOK」

2005年、長濱 治写真集「猛者の雁首」。

TWO GIRLS, ONE MISSION, 3,000 MILES RALLY FROM LONDON TO MONACO.

2005年「VACATION」。

2005年「ENGINE」10月号。

2006年「ADDICTAM」2月号。

親バカなお父さんは、娘の為にサポート・カーまで用意! 主催者は、なんとサポート・カーもスターティング・グリッドに並ばせてくれる厚遇ぶり。

知っていましたか? 日本橋にある三越本店の正面入り口にあるライオンは、このトラファルガー・スクエアのライオンの複製だって。

お父さんは、モナコへ先回りして、途中経過の報告を受けながら、モナコでヨット遊びして、娘達のゴールを待つことに。

グランプリ・コースを散歩したり、

全くの自慢です。F-1 グランプリにモナコへ行ったことのある人なら知っていますが、グランプリ・ウィークに、どのホテルであろうが、ホテル前にこの様にクルマを駐められるなんて、相当のコネクションとパワーがないと、これは出来ません!

2008年「Mercedes Magazine」2月号。

London in 1968.

Regents Park, London, UK in 1969.

Rouen, France in 1971 with my Toyota Celica and Jean-Pierre Beltoise.

Regents Park, London, UK in 2009.

ナンバーに注目!

三菱ミニカ in London !

トヨタ WILL VS in London !

トヨタ bb in London !

2008 年「ビックコミック」5月号「ALWAYS STYLE」。

2008年「christophorus 」6月/7月号。

2009年、英国「Porsche post」2月号。

2010年「white book」spring / summer。

2011年、英国で最も売れているポルシェ専門誌「Total 911」。

2011年「PORSCHE EXCLUSIVE」。

2012年「ENGINE」2月号。

2012年「Home Theater」AUTUMN.

2013年、ドイツの高級週刊誌「stern」9月12日号。

2014年「ENGINE」6月号。

2014年「911 X 911」。

2015年「 911 」生誕50周年を記念した写真集「911 LOVE」。

カラー10ページ。

そしてポルシェ本社は、たったの50冊だけ、シリアル・ナンバー入りで、ポルシェ・ファミリーの為に、イタリーの美術書専門の印刷製本屋さんで、重さ13キロもあるメガ・サイズの “911 LOVE” を制作。

2016年、ニューヨークのメンズ・ライフ・スタイル・マガジン 「MAN of the WORLD」 3月号。

2016年、英国で最も人気の自動車雑誌「EVO」11月号。

2017年「BALLY」の広報誌、SPRING SUMMER 号。

2018年、ドイツのポルシェ専門誌「9 ELF」。

2018年、ポルシェ社の車輌生産開始70周年を祝う本「Porsche Brand Book」に 「Tetsu Ikuzawa 」を、取り上げました。

2018年、ハリウッドのムービー・メーカーが「Tetsu Ikuzawa」 のドキュメンタリー映画を制作すると大挙して取材に来ました。

インタビューは5日間にも及びました。

“Tetsu Ikuzawa’s Fashion Style” を表現するのに、過去から現在までの、アタシが取り上げられたもの、取材されたもの、インタビューを受けたもの、対談したもの、広告に起用されたものを整理しました。それにしても実に幅広いジャンルで取り上げられています。これ程の長期に渡って取り上げられ続けている人、アタシは他に知りません。正直、これは自分でも感心しました。

自分からだけではなく、他の人達は、つまり他人は ”生沢 徹” を、どう表現したかを主体にして今回は表現しています。「AUTO SPORT」や「オートテクニック」等のモータースポーツ系専門誌は一切省きました。スポーツ新聞も一切省きました。又、日本のポルシェ専門誌も一切省きました。自動車専門誌も基本的には省いています。理由は、それ等も含めると、あまりにも膨大な量になってしまうからです。

色々な異なる分野からの取材、色々な異なる分野の人達からのインタビュー、色々な異なる分野の人達との対談、色々な分野での広告起用、アタシ、実に幅広く色々と取り上げられています。しかし何と言っても特筆すべきは、これだけ多く、しかもこれだけ長期に渡って取り上げられているにも関わらず、誹謗中傷記事、攻撃的な記事、批判記事、事実と異なる記事、いやらしい記事、只の一つすらも無いことです。皆無です。これは驚きでした。十人十色、百人百様。色々な違う考え方を持つ人達の居る世の中で、これは本当に異例なことです。

アタシの Fashion Style が、生き方が、考え方が、表現が、情熱が、チャレンジ精神が、国が異なっても、一瞬の出会いであっても、 ”会って話しをした” 多くの人達に、好感を持って受け入れられたと言うことになります。これは単純に嬉しいです。

Tetsu Ikuzawa’s Sound, Music and Movies Style 3

「RAY CONNIFF」「レイ・コニッフ」って言って知っている人、まず居ないでしょうね。多分音楽業界の人ですらも知りません。でもこの音、聴けば年代を問わず、好みのジャンルを問わず、新鮮で清々しい音だと感じる筈。ちゃんとオーディオ・システムで聴いて。それも大きめの音で!

アタシが丁度大学生になった頃、1960年代始めに最もはまった音です。レコード、ほぼ全部持っています。「ほぼ全部を持っていた」と簡単に言っていますが、インターネットもアマゾンも無い時代、入手は簡単ではありません。銀座にあったヤマハ本店にまで、わざわざ行って、アメリカに1枚1枚を注文してもらい、半年後にようやく手元に届く、そんな苦労をして、1枚1枚を入手していました。

アマゾンで注文すれば、次の日には何でも届く時代の人達には考えられないでしょうね。ちなみに、1ドル 360円の時代ですよ!

「グレン・ミラー」を知らなくても、この曲は、まず誰でも聴いたことがあると思います。その「グレン・ミラー」の代表曲 Moonlite Serenade の「RAY CONNIFF」版。

Moonlite Serenade. (https://www.youtube.com/watch?v=FH-5ZTyUz7U)

 

「グレン・ミラー」のオリジナルの Moonlite Serenade は、これ。

Moonlite Serenade. (https://www.youtube.com/watch?v=rjq1aTLjrOE)

 

1955年、ウイリアム・ホールデン、ジェニファー・ジョーンズの「慕情」のテーマ曲 “Love is a many splendored thing” は、映画音楽史上の最高傑作と言われていて、第28回アカデミー賞歌曲賞受賞作品です。色々なシンガー歌っているスタンダード・ナンバーになりました。例えば、マット・モンローの “Love is a many splendored thing” は、素晴らしいです。ちなみに、そのマット・モンローは、ショーン・コネリーの1964年製作のジェームス・ボンド第2作「ロシアより愛をこめて」の、主題歌を歌っています。

Love is a many splendored thing.「RAY CONNIFF」版。 (https://www.youtube.com/watch?v=TIpysSgqj0A)

この映画見ていない人はツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て!

YOU MAKE ME FEEL SO YOUNG (RAY CONNIFF https://www.youtube.com/watch?v=3YCWBlDbEuc)

Smoke Gets In Your Eyes.「RAY CONNIFF」版。 (https://www.youtube.com/watch?v=ztZCSFVeDII)

アタシが最もハマッた音の一つが、RAY CONNIFF ですので、他の曲も色々と聴いてもらいたいです。Google で RAY CONNIFF 又は、レイコニフで検索して下さい。沢山出てきます。 是非色々聴いて下さい。

これで「RAY CONNIFF」って、どんなサウンドなのかかが分かったかと思います。今までに聴くことの無かった、とてもユニークなサウンドでしょ?

ちなみに「グレン・ミラー」を知らない人は「グレン・ミラー物語」を見て。1954年製作のハリウッド映画。これを見ればグレン・ミラーがどんな人で、「ミラー・サウンド」と言われているサウンドが、どうやって誕生して行ったかが分かります。テレビで何度も上映していたので見ている人も多いかもしれません。又、グレン・ミラーを知らなくても、そのサウンドを聴けば、必ずどこかで聴いたことのあるサウンドの筈。 英国、アメリカで、クリスマス・シーズンになると、必ずテレビでやる映画の一つ。理由は、見れば分かります。

ついでに、グレン・ミラーの演奏をもう一つ。Stardust. (https://www.youtube.com/watch?v=LlxnWG24ohE)

 

エスター・ウイリアムズ (Esther Williams) って言う女優さんを知っていますか?元水泳選手です。その彼女主演の、1949年に制作の、ハリウッド黄金期の「水着の女王」原題 “Neptune’s Daughter”。それは凄い大がかりなセット、豪華なセットで、もう圧倒されます。初等学校の時に、おばちゃんに連れられて見に行って、映画の素晴らしさに感動した作品。見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て。でもあるかなー。今見てもその豪華絢爛さに驚かされます。それにしても彼女、トップの水泳選手で、この美貌は信じられません!

彼女が、エスター・ウイリアムズ (Esther Williams) 。

この辺の、ハリウッド黄金期の豪華絢爛さを見るには、 MGM が、創立50周年を記念して1974年に製作した、ミュージカル作品を総まとめして紹介する映画「ザッツ・エンターテイメント」は、必見。プレゼンターにフレッド・アステア、ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、エリザベス・テイラー、ミッキー・ルーニー等、豪華スターが担当しています。当時ハリウッド映画の凄さに、素晴らしさに、豪華絢爛さに、ただただ圧倒されます! 見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て。ちなみに「ハリウッドのミュージカルの王様」と言われた「雨に唄えば」の監督、スタンリー・ドーネンが、先月、2月に亡くなったそうです。彼は、オードリー・ヘップバーンの「パリの恋人」「シャレード」「いつも2人で」も監督しています。

 

中等生の頃見た映画。スクール物の1956年製作の英国の映画「思春期の感情」原題、It’s Great to be Young も、子供心に共鳴した映画。特に自分達の行っていた学校と重なって、皆で盛り上がったのを覚えています。見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て。でもあるかなー。

 

1956年公開の、タイロン・パワー、キム・ノヴァクの「愛情物語」、原題 “The Eddy Duchin Story” は見た事ありますか? 見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て。アタシ、何回見ても泣きます。Eddy Duchin と言うアメリカの実在したピアニストの物語ですが、こんなにも悲運な人がいたんだと思わせます。当時のアメリカのハイ・ソサエティーも見る事が出来ます。なにしろ音楽が素晴らしいです。ちなみにキム・ノヴァクは、アタシが子供の頃に最も好きだった女優さんの一人。

 

ベニー・グッドマン ( Benny Goodman) と言って分からない人は、ツタヤに行って「ベニー・グッドマン物語」を借りてきて、まず見て。アタシが中等生の時にはまった音の一つ。スイング・ジャズと言えばベニー・グッドマン。彼が日本に来た時、中等生でしたが、おばちゃんに連れてもらって産経ホールでのコンサート、行っています。ホンモノを見ています!

This is The King of Swing !

ベニー・グッドマンと言えば、この曲も。MEMORIES OF YOU. (https://www.youtube.com/watch?v=Zlak-Jeo1Zk)

 

トロイ・ドナヒュー、サンドラ・ディーの「避暑地の出来事」。中等生の頃、クラスの女の子達とで見に行って、わくわくして見ました。正に青春時代に心躍らされた映画の代表。見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て。アタシが子供の頃に、どんな映画に影響されていたかが分かるかも。それにしてもサンドラ・ディーの可愛いこと!

「避暑地の出来事」と言えば、この曲。A Summer Place. (Percy Faith) https://www.youtube.com/watch?v=tSsiS-v6_6M

 

これも中等生の時に見に行って心躍らされた映画の代表。1950年代のイタリーの映画。ジャクリーヌ・ササールの「芽生え」。見ていないでしょうから、ツタヤで借りて来るか、アマゾンで買って見て。アタシ、当時、何回も映画館に行って見ています!

 

1955年のハリウッド映画「ピクニック」のバック・サウンドで使われた有名な曲 “Moonglow”。(https://www.youtube.com/watchv=jlsoLgc0n5I

ウィリアム・ホールデン、キム・ノヴァクの「ピクニック」。 ”Moonglow” をバックに2人が踊るシーンは圧巻のダンス・シーンです。当時14歳のアタシは、このシーンにしびれました! そして76歳の今になって見ても、しびれました! 見ていない人は、ツタヤに行って借りてきて見て。 (https://www.youtube.com/watch?v=_DBoMIi8bYc)

ロッド・スチュアート版 “Moonglow” Rod Stewart (https://www.youtube.com/watch)

トニー・ベネット版 “Moonglow” Tony Bennet, https://www.youtube.com/watch?v=HWcRNTYVtyI)

 

この曲は、中等生の時、体育の実習で学校からのスキー旅行に行く時のバス中で進駐軍のラジオ放送 FEN で流していた曲。一発で好きになった曲。バスの運ちゃんですらもがアメリカ進駐軍の放送をバスの中で流す程にアメリカの音に、当時は溢れていました。

On The London Bridge (https://www.youtube.com/watch?v=yH-Muas-xlY),

沢村 みつ子版。今聴いても彼女、素晴らしい。彼女、後に浅岡 重輝と付き合うことになったので会うことに! それにしても彼女、上手。Mitsuko Sawamura:(https://www.youtube.com/watch?v=v7WKktN8Kg4)

ロンドンと言えば、この曲も。A Foggy Day in London.(https://www.youtube.com/watch?v=U_aTx2OLcDw)

 

1957年製作のケーリー・グラント、デボラ・カー「めぐり逢い」。 あのケーリー・グラントが気が付くシーンは、アタシ何度見てもオイオイと泣きます! その後、ウォーレン・ビーティーでリメイクされていますが、このケーリー・グラント版の方が文句なしに良いです。これ、必見の映画!

この映画のテーマ曲は、色んなシンガーが歌っています。これは主演のデボラ・カーが歌っているもの。

 

1961年、オードリー・ヘップバーンの「ティファニーで朝食を」は、若い人達でも見ている人は多いかもしれません。でも、見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て。

 

テーマ曲の、ヘンリー・マンシーニの Moon River は名曲。  Breakfast at Tiffanys (https://www.youtube.com/watch?v=L_jgIezosVA)

 

1960年代のフランス映画「男と女」。この映画のテーマ曲「ダバダバダ」は、アタシ達の年代では知らない人は居ません。アタシはその頃はロンドンでレースに没頭していたので封切りでは見ていなくて、日本に戻って来た時に、福沢 幸雄も見逃していたので、二人で東京の三軒茶屋の汚い映画館で見ました。あまりにも綺麗な映画で、そのまま座り続けて2回続けて見ました! その後もどこかの映画館でやっている度に見に行きました。10回以上見に行っています。勿論、ビデオも DVD も無い時代です。なので映画館に行って見るしかなかったのです。クロード・ルルーシュ(監督)と、フランシス・レイ(音楽)を世界に知らしめた映画です。見ていない人は、ツタヤに行って借りてきて見て。今見ても、何回見ても、音楽、画像共に素晴らしい映画です。止めはレーシング・ドライバーがストーリーの主役! なにしろ素敵な映画だから見て!

ここ、ドーヴィル (Deauville) の海岸でのシーンは、ただただ綺麗で素晴らしい!(これ、クリックしても見られない時は、下ので見られると思います)

アタシ達、ここ、行っています!

A Man And A Woman (Un Homme Et Une Femme).  (https://www.youtube.com/watch?v=Jg-NDSLEkKI)

後日談。この映画の主演のジャン・ルイ・トランティニャンですが、叔父さんは有名 F-1 ドライバーです。この叔父さんモーリス・トランティニアン、結構凄くてモナコ・グランプリに2度も優勝、1954年のルマン24時間にも優勝しています。本人ジャン・ルイ・トランティニャンも大のレース好き。

1980年、この映画の中にも出てくる「フランスのルマン24時間レース」に、アタシがドイツのポルシェのセミ・ワークス・ティームから出た時、トランティニャンがティーム・メンバーに居て驚きました。地元の超有名人なのに大変におとなしい方で、アタシの方が大きな顔をしていました! トランティニャンとの写真を探したのですが、時間内に見つからず。でもアタシ、地元紙でアラン・ドロン、ミレーユ・ダルク達と同等の扱い! 凄くない!

Le Mans 24 in 1980.

 

アタシ、大学生の頃には既にフランク・シナトラの LP レコードは全て持っていました。勿論、日本版もありましたけど、全て日本で発売されていたわけではありません。特に彼はレコード会社を転々としていましたので、結構集めるのは大変。引越、引越で、レコードの整理まで手が回っていませんが、取りあえず見つけたのを並べてみました。

レイ・コニッフのレコードと同じです。全て持っていたと言っても、入手は簡単ではありません。1枚1枚を、銀座にあったヤマハ本店に行ってアメリカに注文してもらい、半年後にようやく手元に届く、そんな苦労をして、1枚1枚を入手しています。

Night and day. (https://www.youtube.com/watch?v=E10L8G67ozU)

Blue Moon. (https://www.youtube.com/watch?v=6vr0amOKCHo)

Witchcraft. (https://www.youtube.com/watch?v=oFmNgiEgPoQ)

Strangers in the Night. (https://www.youtube.com/watch?v=s4fWMgoWrbE)

The Girl From Ipanema. (https://www.youtube.com/watch?v=NldPFVKYmiw)

Fly Me To The Moon. (https://www.youtube.com/watch?v=mQR0bXO_yI8)

I’ve Got You Under My Skin.

最近、レコードやカセット・テープが若い人達に見直されているらしいですが、アタシが初めて見たレコード・プレイヤーはエジソンが初めて発明した時のようなゼンマイ式で、レコード針は竹でした!

そこから電蓄、つまり電気式レコード・プレイヤーになりレコードは78回転の SP レコード。それが LP レコードになり、ステレオ・レコードになっていきます。

その次に良い音を求める人達は、オープン・リールのテープ・レコード・プレイヤーになります。正に放送局で使うようなオープン・リールのテープ・レコード・プレイヤーを使います。 CD を買うと同じ様に、この写真のように、ソフト、音源もリールで売っていました。日本製は無くて、一々アメリカからの取り寄せになります。ここまでやっていた人は、ほんの限られたマニアだけです。

当然アタシはフランク・シナトラやレイ・コニッフのテープを買っています。勿論、今でも聴けます。この後、8トラック・カセット・テープになり、ようやく現在のカセット・テープになります。

この上の棚が、全てオープン・リールのミュージッ・クテープです。今のミュージックCD と同じです。でも当時の日本のレコード屋さんでは売っていなくて、全てアメリカへ注文して半年後にようやく手元に届きます。良い音を求める人達は、そんな苦労をして、良い音を入手していました。

 

こう言うバンドで、こう言う曲で、踊りたいなー。元はグレン・ミラーの曲。Tuxedo Junction. (https://www.youtube.com/watch?v=IqN56B14DQc)

 

こう言うバンドで、こう言う曲で、踊りたいなー。What kind of fool am I. (https://www.youtube.com/watch?v=Bt54qsnnYTM)

 

こう言うバンドで、こう言う曲で、踊りたいなー。Perfidia. (https://www.youtube.com/watch?v=SWjw3YvpMrw)

 

ラテンと言えば、この曲。チャチャと言えば、この曲。Tea for two. (https://www.youtube.com/watch?v=sLDHCDz7S2g)

 

正にアタシ達が踊っていた曲。ツイストと言えば、Let’s twist again. (https://www.youtube.com/watch?v=nwRxyPc_8Wk)

 

ディスコ・サウンドと言えば、この曲。「Saturday Night Fever」この頃の映画になると見た事ある人も多いかもしれません。ジョン・トラボルタの出世作。(https://www.youtube.com/watch?v=op5FxEs1aR0)

 

そもそもが、ディスコテック、ディスコって、どこで発祥したのかは知っていますか? 英国のロンドンです。ロンドンのピカデリーにある「Whisky a Go Go」が、世界で初めてレコードを使っての(つまりディスク)ダンスするところを始めたのが始まりで、それが世界に広まりました。1964年、初めての海外旅行の時、三保 敬太郎、浮谷 東次郎、式場 壮吉で、アタシ達、このディスコ発祥の地「Whisky a Go Go」に行っています!

 

ディスコ・サウンドと言えば、この曲。Can’t give you anything, but my love. https://www.youtube.com/watch?v=nlQ8te4BOhY

 

アタシの周りでは、この曲を知らない人は居ません!英国の盲目のピアニスト。September in the rain. (George Shearing) https://www.youtube.com/watch?v=7ENK2kLQCfk

 

スズキ自動車の TV コマーシャルで使っていたので、聴いたことがある曲の筈。マンボと言えば、この曲。Mambo no. 5. (https://www.youtube.com/watch?v=JlqzT6AKgkA)

 

「Four Seasons」 って言って分かる人居ますか? ホテルではありません! ではクリント・イーストウッドの「ジャージー・ボーイズ」と言えば分かる人が居るかも。なんで「ジャージー・ボーイズ」かと言うと、つまりニューヨークの隣の州、ニュー・ジャージーからやって来て成功した連中の物語だからです。

アタシ達の年代の人で、周りでこの曲を口ずさめない人は居ません。the Four Seasons の Can’t Take My Eyes Off You. (https://www.youtube.com/watch?v=gGn6QHbX4JQ)

「Four Seasons」。 60年代のビートルズにも引けを取らないくらいに人気のアメリカのボーカル・グループです。この実在のグループをモデルにして創られたブロードウエイのミュージカルが「ジャージー・ボーイズ」。アタシ10年くらい前にブロードウエイで見ています。実に楽しい、凝った舞台構成のミュージカルで、映画よりもステージの方が断然素晴らしいです。まだやっています! もしニューヨークへ行く予定があるのでしたら、是非見て来て。

 

1988年のゴールデン・グローブ賞を総なめにしている、メラニー・グリフィス、ハリソン・フォード、シガニー・ウィーバーの「ワーキング・ガール」。この映画も何度見ても楽しいし、見終わってやる気を起こさせる映画。メラニー・グリフィスのベスト・ムービー。この映画以外の彼女、全くダメ!

音楽も大変に良い!

 

ジュリア・ロバーツとリチャード・ギア主演で大ヒットした1990年公開の映画『プリティ・ウーマン』1990年度全米興行収入第1位の映画。 何度見ても楽しい映画。 アタシ達の世代ではよく聴いていたロイ・オービソンの「オー・プリティウーマン」が主題歌に使われているのも楽しい。ジュリア・ロバーツは、この作品で、ゴールデングローブ賞を受賞しています。アタシが思うにジュリア・ロバーツのベスト・ムービー。

この映画見ていれば、ここ、どこだか分かりますよね! この写真からもアタシが、いかに映画が好きかが分かる思います。

 

Rod Stewart – Blue Moon(https://www.youtube.com/watch?v=qyTG3G7QLg4)

 

I Left My Heart in San Francisco と言えば、この人。(https://www.youtube.com/watch?v=3fpE5FfP05M)

この人のも素晴らしい。(https://www.youtube.com/watch?v=SC73kdOL5hk

 

今のテクノロジーが実現。父娘の共演。これ鳥肌立ちます! Unforgettable. (https://www.youtube.com/watch?v=MKCyUe4syc4)

やはり血筋。彼女も素晴らしい。

(https://www.youtube.com/watch?v=6S6ViHdoFLU)

 

60年代、三保敬太郎がいつも溜まっていた六本木のバー「ふらみんご」で、よくかけていたセルジオ・メンデス。Mas que nada. (https://www.youtube.com/watch?v=BrZBiqK0p9E)

Night And Day. (https://www.youtube.com/watch?v=IpjAvTf6tZs)

 

Begin the Beguine. (https://www.youtube.com/watch?v=7MEnrW0j_7M)

 

今聴いても身震いするくらいに懐かしい、60年代を代表するアメリカン・ポップス、Be My Baby. (https://www.youtube.com/watch?v=5KH6e_6O_dE)  彼女なにしろ可愛い! 声も可愛い!

未だ生きている!(https://www.youtube.com/watch?v=oI44wPTE7nk)

 

Barry White Love’s Theme. (https://www.youtube.com/watch?v=g9G201XW4Js)

“It Had To Be You” Harry Connick Jr. (https://www.youtube.com/watch?v=xkxgGbYqBwY)

 

 

マイケル・ブーブレ( Michael Buble )って知っていますか? カナダの場末のバーで歌っていたのをデイビット・フォスターに見出されて、世界的スターになったシンガー。なにしろ聴いて。アタシが今、一番好きなシンガー 。15年ほど前でしょうか、モナコで地元っこが行く小さなレストランでランチしている時に流れていた音楽が、正にアタシ好みで、ウェイトレスさんに「これ誰?」と CD を持って来て貰って初めてマイケル・ブーブレ( Michael Buble )を知りました。そもそもが、デイビット・フォスターって知っていますか? 「タイタニック」のテーマソングを歌って世界的にブレークしたセリーヌ・ディオンを見つけ出した人。今やクインシー・ジョーンズをしのぐ有名音楽プロデューサー。詳しく知りたければグーグルして。この人、本当に凄い人!

A Foggy Day in London. (https://www.youtube.com/watch?v=MXixPZ1lBPY)

Call Me Irresponsible. (https://www.youtube.com/watch?v=oj_eUUaWBu0)

Save The Last Dance For Me. (https://www.youtube.com/watch?v=8dk-yig2GVk)

デイビット・フォスターに見出されてマジソン・スクエア・ガーデンでのコンサートをするまでになった、正にアメリカン・ドリームを実現した人。このコンサートのライブの DVD は、圧巻。出来ればブルーレイで、ホームシアター・システムで見て欲しいです。彼のステージは素晴らしいの一語。

 

アタシは中等生の時、東京の日比谷にある映画館、日比谷映画館、有楽座、スカラ座の3館をハシゴして1日に一気に3本を見た程の映画好きです。

一見、洋物の映画ばかりと思ったでしょうけど、アタシ、映画は何でも見ます。国籍も問いません。勿論、日本の映画も見ます。初等科の頃は、江利 チエミ、雪村 いずみ、美空 ひばりの「ジャンケン娘」も見ていますし、やはり初等科の頃、学校の寮を抜け出して石原 裕次郎の「嵐を呼ぶ男」や「明日には明日の風が吹く」を見に行ったりしています。黒澤 明は「七人の侍」を始め、「用心棒」「椿三十郎」など、全て見ています。勝 新太郎の「座頭市」も全て見ています。「仁義なき戦い」「マルサの女」など、日本映画もかなり見ています。

洋モノもハリウッド製だけでなく、どこの国の映画でも見ます。アタシが初めて見たハリウッド以外の映画は、初等科5年の頃に見たスエーデン映画「悶え」。一瞬のヌード・シーンに興奮しました!

イタリー映画は「自転車泥棒」に始まり「道」「島の女」「ひまわり」「シネマ・パラダイス」など、かなり見ています。

フランス映画は、1953年制作のイヴ・モンタンの「恐怖の報酬」、ジャン・ギャバン、ジャン・モロー「現金に手を出すな」「死刑台のエレベーター」、アラン・ドロンの「太陽が一杯」など、かなり見ています。

「カサブランカ」「アラビアのローレンス」「ドクトル・ジバゴ」「戦争と平和」等の有名どこも全て見ています。「007」も「ドクター・ノー」から全て見ています。「王様と私」「サウンド・オブ・ミュージック」、オードリー・ヘップバーンの「昼下がりの情事」「麗しのサブリナ」「マイ・フェア・レディー」「暗くなるまで待って」「パリの恋人」「尼僧物語」「シャレード」。アルフレッド・ヒッチコックは全て。ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」「エデンの東」「ジィアンツ」。ドリス・デーの映画も「ケセラセラ」等を含めて全部見ています。ジュディー・ガーランドは「オズの魔法使」から「スター誕生」、ライザ・ミネリの「キャバレー」以降全て見ています。「誰がために鐘は鳴る」以降、ゲーリー・クーパーの映画は全て、エリザベス・テーラーの映画も「名犬ラッシー」以降、全て見ています。

上げていくとキリがありません。

つまり見ていない映画は無いと言える程に映画は見尽くしています。

尚ヒッチコックは、これがお勧め。 ジェームス・スチュアートの「裏窓」。相手役は後にモナコ王妃になるグレース・ケリー!

ちなみにゲーリー・クーパーの「真昼の決闘」の相手役もグレース・ケリー。

 

中等生の頃のアタシのアイドルは、雪村 いずみ! 彼女のオウチが近所だったので、用も無いのにオートバイで彼女の家の前をしょっちゅう行ったり来たりしていました! 彼女の「青い山脈」も見ています。彼女の妹の朝比奈 愛子も好きで、クルマのデザイナーになるのを目指して東京の江古田にある日大芸術学部に毎日通っている頃は、帰り道に池袋のライブ・ハウスに寄っては彼女を見ています。

ロカビリーって言って分かる人は、かなりの年代の人。有楽町にあった日劇であったウエスタン・カーニバルと言って知っている人も、かなりの年代の人。そのウエスタン・カーニバルに出ていた人気バンドの一つに「ワゴン・マスターズ」と言うウエスタン・バンドがありました。後にホリ・プロの社長となる堀 威夫のバンドです! 小坂 一也がバンド・シンガー。

この写真の左から2人目の人は、その「ワゴン・マスターズ」のギタリストだった小山 栄。その息子とアタシは大の仲良し! そして真ん中の人は、雪村 いずみ! 彼女が、いかに可愛かったかが分かると思います。 左側はペギー 葉山!「アタシは、映画、音楽が好きな人達に、映画、音楽業界の人達に、いつも囲まれていました」と書いていますが、この写真からも、それが分かると思います。そして、こんな写真を持っているのも凄いでしょ。

はい、恥ずかしながら白状します。アタシ歌手になりたかったーっ!

幼稚園児の頃からハリウッドのミュージカル映画を見に連れていかれ、これだけ周りにミュージシャンがいるのですから、当然アタシもミュージシャンになりたかったです。 ピアノは初等科から、ギターは高等学校になってから習いに行きました。でも安心して! 歌を含めて自分には音楽を奏でる才能は全く無いことに、直ぐに気が付いていますから。と、言うか愕然としました。あまりの才能の無さに! だってアタシ、興味持つもの、好きなことは “何でも” 拘り、かなりのレベルで極めるのに、音楽を奏でることだけは悲惨でした! 従ってアタシの 76年の人生で、ただの1回すらもカラオケって行ったことも、やったことも、見たことすらもありません! 三保 敬太郎が、ピアノを弾きながらアタシに歌わせようとしたこともありましたけど、ただの1回すらも歌っていません! つまり、ちゃんと自覚していたので許して下さい! 「オマエ、何を勘違いしていたんだよ」と、言われる前に言っておきます! でも聴く耳はあったようです。スティーブ・ローレンスとフランク・シナトラって、声がそっくりだって知っていました? 三保 敬太郎は、どちらかを言い当てられなかった時、アタシはちゃんと分かっていました。

Steve Lawrence “I’ve Got You Under My Skin”.

以下の2枚の写真はプロモーション用?! 高等学校1年生の時、当時のガール・フレンドが、撮ってくれたものです。芸能人になりきっていますねー! すいません、勘違いしていました!

ロカビリー歌手みたいでしょ!

 

美空 ひばりが子供の頃に唄った「リンゴ追分」アタシも子供だったけど、そのうまさにしびれました! 美空 ひばりがジャズが上手だったって知っていましたか? 発音なんか、もうパーフェクト。水原 弘の「黒い花びら」も、尾崎 紀世彦の「また逢う日まで」も、ちあき なおみの「喝采」も、好きです。

松田 聖子の CD 、何枚も持っています! 彼女のデビュー間もない頃収録の「風立ちぬ」は、鳥肌がたつ程に素晴らしい! バックの音楽も、つまりアレンジも、録音技術も、素晴らしい! あの素晴らしさ、あの拘りは、現在の日本の音楽業界には、もう無いかも。ドーナッツ・レコードの頃ですよね? 何度聴いても鳥肌が立ちます! 尚、この松田 聖子の歌唱力の凄さは、ちょっと専門的になりますが、通常の CD ではなくて、オリジナル・マスター・テープから Super Audio CD に移した SACD で、SACD がプレー出来る CD プレーヤーと、ちゃんとしたオーディオ・システムで聴かないと体感出来ません! 松田 聖子が、こんなにも素晴らしい歌手だったんだと気が付かせる、驚愕のサウンドですので、是非聴いて!

 

1966年からロンドンに住みだして、一時帰国して日本からロンドンに戻る時、持って帰るレコードは、藤 圭子の「新宿の女」や、森 進一でした!

 

今でも映画は毎日のように見ます。最近は海外のテレビ・シリーズをよく見ます。と言うか、海外のテレビ・シリーズが、凄い!面白い!「24」に始まり「ホームランド」「プリズン・ブレーク」「ハウス・オブ・カーズ」「スキャンダル」「リベンジ」「AMERICANS」「クワンティコ」。最近で面白かったのは「ゴーンガール」の原作者ギリアン・フリオンの HBO のシリーズ「傷」”SHARP OBJECT”。 英国のテレビ・シリーズ「McMAFIA」「ライン・オブ・デューティー」等も面白い。

さて終わりに。アタシの思うハリウッドのベスト・ムービーは、これ。トム・クルーズの「トップ・ガン」。面白さ、つまりストーリー、音楽、画像、臨場感、正に、これがハリウッド映画!

相手役のケリー・マクギリスも最高! 彼女、この映画がベスト!

アタシがこの映画を初めて見たのは、自分ちでレーザー・ディスクで。 最近、最新の機材で DVD で、ブルーレイでも見たのですが、臨場感は、昔のレーザー・ディスクの方が良いです! 何故なんでしょうね。

このオープニング・シーンから圧倒されます! 何回見ても面白い! 数万円の安いホーム・シアター・システムでいいから、ちゃんと 5.1 チャンネルで見て!パソコンでも、安い 5.1 チャンネルのホーム・シアター・システムとで見ると、その臨場感に圧倒されます。

 

止めは、これ! 必見!

AKB の2011年の1年間を追った『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』。過呼吸と脱水症状で倒れるメンバーが続出した西武ドームでのコンサートの凄絶な舞台裏のシーンは、彼女達の凄さに、彼女達のけなげさに、アタシは何回見ても大泣きし、ボロボロと涙が止まりません! 前田 敦子が最も輝いていた時。高橋 みなみのリーダーシップ、気配り、やさしさも素晴らしい。その前田 敦子、もうお母さん!

海外のホテルに泊まっている方々は知っているかと思いますが、現在、海外では日本のテレビは NHK とフジ・テレビが見られます。ニュースなど、時間帯によってはライブです。アタシの時代では想像すらも出来なかったことです。15年くらい前だったでしょうか、ロンドンで NHK を見ていたら、秋葉原の特集をしていました。その中で、小さな劇場でやっている「秋葉原48」と言うグループのことも取り上げていました。まだ AKB 48 と言う前です。ウエアも、その頃は彼女達ロング・スカートでした。アタシ、コイツ等売れると閃いていました! でも彼女達がブレークするのは、その後かなり経ってから。日本に帰ったら見に行こうと思っていましたが、いまだ実現出来ていません。

これで、” Tetsu Ikuzawa’s Sound, Music and Movies Style”  は、かなり伝わったかと思います。まだまだ付け加えたい曲、映画、話したい事、伝えたい事、キリなくあるのですが、この項は、これで終わり。

実はアタシ、本もよく読みます。幼少期にはおばちゃんによく読んでもらっていました。野村 胡堂の「銭形平次」とか、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」とか。好みは、トル・ストイと言うよりも、シドニー・シェルドン!「ゲームの達人」みたいのから、ミステリー物が多いかも。松本 清張も結構読んでいました。イアン・フレミングの「ジェームス・ボンド」は映画で有名になる前から読んでいます。日本では翻訳したのが少なくて、探すのに苦労しました。友人達は、英語版で読んでいました!

ドキュメンタリー物では、ジョン・クラカワーの「空へ」副題:エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか。は、お勧め。(出版元:文藝春秋 文春文庫)これは映画にもなっています。95年5月、日本人の難波 康子さんを含めて12人もの大量遭難事故が起きた時、たまたま、この時取材でエベレスト登頂をしていて生還したスポーツ・ライターによる迫真のドキュメンタリー本です。アタシ、当時ライブで見聞きしていました。これは読むべき。

Tetsu Ikuzawa’s Sound, Music and Movies Style 2

1950年代の始め。ウチに来た初めてのオーディオ・システム!

ZENITH L565。当時のアメリカの家電メーカー ZENITH のラジオ・レコード・プレイヤー。

敗戦直後の日本にオーディオ・システムなんて有るわけもなく、クルマや電化製品は、進駐軍が帰国時に日本人相手にぼろ儲けの小遣い稼ぎで売っていくものを買うしか、当時の日本人には入手方法はありませんでした。

これは、おばちゃんと進駐軍の将校の家に行って、むこうの言い値で買ってきたもの。おばちゃんは、お金持ちだったようです。当時のアタシ達にとっては、それは信じられない程に素晴らしい音のように思えました。この写真は、アタシのグリコのオマケみたいなカメラで撮ったものでよく見えませんが、進駐軍の家に行った時に撮影したものです。

はい、まだちゃんと持っています! 久しぶりに引っ張り出してきて見ましたけど、こんなんで「素晴らしい音」と、感激していたんですね。正に時代を感じさせますよね。

 

1960年代始めの頃の東京の自宅。左側の本棚にフランク・シナトラのレコードが見えます。何故かテレビが2台もある!カラーと白黒かな?

ちなみに、アタシが見ている雑誌に注目!  英国の「MOTOR SPORT」 この時代に英国の自動車雑誌を定期購読している人なんて、モータースポーツ業界は勿論のこと、モーター・ジャーナリストと称している人達や自動車業界ですらも皆無です。もしかしたら現在でも?

1970年代の東京の自宅。今でこそ、ホーム・シアターなんて言っていますけど、アタシとっくの昔から試みています。プロジェクター式のテレビなんてあるわけもなく、ようやくビデオ・レコード・プレイヤーが出て来た頃です。SONY の最初のビデオ・レコーダー買っています。確か日本で最初に市販したのが SONY。

これが、当時売っているテレビで一番大きなサイズのテレビです! 今では考えられませんよね。これが最大サイズのテレビだったなんて。丁度、テレビのリモコンが出だした頃です。

1980年。ようやくプロジェクター式のシステムが日本でも発売される。

そして現在。アタシの「拘り」は、専門誌に取材される程!それも表紙です! 

最初は JBL と言うスピーカーを使っていたのですが、音があまり好みでなく、現在は昔から持っていた古いオンキヨーのスピーカーを引っ張り出してきて修理して使っています。 そんなスピーカーでも、1個数百万円のスピーカーにも引けを取らない素晴らしい音がしています!

ロンドンの自宅。

モナコの自宅。小さなアパルトマンでしたけど、最低限でも、これくらいはやっています。左に、サブ・ウーファーが見えています。

アタシのパソコンでの音の環境は、現在は、こんな感じ。東京のオフィス。アンプ BOSE PLS-1310, スピーカー BOSE 363 West Borough.

これが何だか分かる人達は、パソコンとオーディオ機材とを繋いで、音楽を聴いている人達。

「アトリエ」のオフィス。アンプ BOSE PLS-1310, スピーカー BOSE 464 West Borough.

「アトリエ」のリビング。

オーディオ・マニアが見たらバカにするような安い機材しか、又は中古の機材しか使っていません。でもアタシは、いつでも、どこに居ようが、映画、音楽が楽しめるようにしています。

 

アタシを育ててくれた、おばちゃんに始まり、行っていた学校、かまやつ ひろし、スパイダース、堺 正章、田邊 昭知、三保 敬太郎、ミッキー・カーチス、小川 知子、黒澤 明の息子、タップ・ダンスで有名だった中川 三郎の娘の中川 姿子、沢村 みつ子等、そんな連中がいつも周りに居ました。式場 壮吉は、なにかと言うとジョニー・マティスの「ミスティー」を歌っていました。勿論カラオケなんて無い時代ですから、ジャズ・クラブで、生バンドをバックに! 銀座にあったジャズ喫茶「アシベ」にスパイダースのステージを見に行ったり、東京駅前にあった丸の内クラブに、小川 知子や、いしだ あゆみ達とでミッキーのライブを見に行ったり、フォー・フレッシュメンが日本に来た時は、誰かがティケットを手配し皆してコンサートに行ったり。

アタシは、映画、音楽が好きな人達に、映画、音楽業界の人達に、いつも囲まれていました。

ジャズ・ピアニストの三保 敬太郎って知っていますか? 昔、夜のテレビ番組で「11 PM」と言うのがあったのは、知っていますよね? その「11 PM」のテーマ曲「ダバダバダバダバダバダー」を作曲した人が、三保 敬太郎。彼とはアタシが中等生の時に軽井沢で知り合いました。彼はその後カー・レースを始めたので、レースにもよく一緒に行きました。まだ鈴鹿サーキットも無い、富士スピードウエイも無い頃、唯一モーター・スポーツもどきが出来たのは日本スポーツカークラブでのクラブ・イベントのみ。この写真は1963年、伊豆の長岡と言う小さな温泉町の裏山でやっていたヒル・クライムの時のもの。右が三保 敬太郎。左は、アタシの最初の奥さんとなるヒロコさんとの、これが初デート!

1963年。信じられます!箱根ターンパイクを閉鎖してレースしていたなんて! これも、日本スポーツカークラブでのイベント。箱根ターンパイクを閉鎖してヒルクライムをやった時。左、式場 壮吉、彼の隣、三富 邦子、センター、銀座のスキーショップ「秀山荘」の大西 章夫、パラソルをさしている人、ミッキー・カーチスと彼のモーガン。後ろに見える赤のポルシェ 356 は、壮吉のクルマ。 ちなみにヒロコさんをアタシに紹介してくれたのは、三富 邦子。 

1964年。オートレース場でレースしていたなんて信じられます! 川口オートレース場での、ストック・カーレースの時。後ろに見える赤のクルマは、この時アタシが乗って優勝のプリンス・グロリア。

1964年。アタシの初めての海外旅行は、モータースポーツの本場、英国のレーシング・スクールに行く為に、三保 敬太郎とで、世界1周旅行に行きました。

Jim Russell Racing School at the Snetterton Circuit in UK in 1964.

Regent Street in London in 1964. 現在のロンドンを知っている人には信じられないでしょうね。これリージェント・ストリートですよ! 人とクルマがいない! 当時のロンドンは、こんなにも淋しかったです。勿論、ロンドンのジャズ・クラブ「ロニー・スコット」に行っています。

初めての海外旅行。時差。疲れ果てて公園でボーっとしているとこ。当時、海外旅行すると、航空会社が必ずくれたバッグに注目。BA 英国航空になる前の BOAC! この旅行でパリに寄った時、三保 敬太郎の紹介で福沢 幸雄に出会っています。それがきっかけで彼とは仲良しに。ちなみに、この3枚の写真の撮影者は、英国で合流した浮谷 東次郎。

ヨーロッパを一巡りして、帰り道にハワイに寄りました。だってエルビス・プレスリーの「ブルー・ハワイ」を見たばっかりですもん。でも映画のイメージとは大違いで、ワイキキビーチなんて藁葺きの家が建っているだけの淋しいもの。4,5日滞在する予定だったのですが、あまりの侘びしいとこなので1泊で帰国することに。あの時、ワイキキビーチに土地を買っておけばなー。ホノルルから日本への機内はアスリート達で満席。だって東京オリンピックの直前! そんな昔のことです。

ちなみに式場壮吉が、必ず歌っていたジョニー・マティスの「ミスティー」は、これ。

1966年、ロンドン・ヒースロー空港。スパイダースの初めての海外旅行。ヒースロー空港へ迎えに行った時。カメラを持っているのが堺 正章、後列横を向いているのが井上 順、後列センター田邊 昭知、かまやつ ひろしが写っていないのは、彼がこの写真を撮っているから。

夜は皆を引き連れて食事に。連れてったレストランの若いウエイトレスが「スパイダースか?」と聞いてきた。多分、彼等が来たと言う記事が新聞の芸能欄にでも載っていたんでしょうね。

夕食後、ロンドンの夜を観光。ピカデリー・サーカス。

1960年代からは英国に住んでいたので、当然、聞こえてくるのは英国人の音楽が多かったです。エンゲルベルト・フンパーディング (Engelbert Humperdinck )と言う歌手は知っていますか?

英国人の歌手と言えば、やはりトム・ジョーンズ (Tom Jones)でしょ。

Petula Clark と言う英国の歌手は知っていますか? モータースポーツの本場でレースをすると単身英国に渡りロンドンに住みだしたものの、物事はそうは簡単に進むはずもなく、安下宿屋の部屋で悶々としてホームシックに陥っている時、ラジオから流れていたのは、ペトゥラ・クラーク (Petula Clark) の「ダウンタウン」。

彼女の「チップス先生さようなら」原題:Goodbye Mr. Chips は、ロンドンで見ています。

1966年、まだ友達も一人も居なくて、ホームシックで落ち込んでいる時、それでも映画好きのアタシが、ロンドンで初めて見に行った映画が、ジョージ・ペパード主演の「ブルー・マックス」。戦争もの、飛行機ものが好きな人は必見。実在したドイツの戦闘機パイロットの話。テレビで何度も放映していますけど、見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て!

1969年上映「ミニミニ大作戦。原題:Italian Job. これもロンドンで見ています。2003年にリメイクされていますが、このオリジナルの方が断然良いです。主演はマイケル・ケイン!

アタシ達の年代で忘れていけないのは、ダニー・ケイにビング・クロスビー。日本は年末間近になるとテレビではお約束の「忠臣蔵」。それと同じように英国、アメリカでは、クリスマス時期になると必ずテレビでやるのが、ダニー・ケイ、ビング・クロスビー、ローズマリー・クルーニーの、1954年公開の「ホワイト・クリスマス」。アタシは子供の時に父とおばちゃんに連れられて見に行っています。その後、英国に半世紀近く住み、年末年始もロンドンで何回も過ごしましたので、この映画、もう何十回と見ています。でも何回見てもほっこりします。

これは、クリスマス映画のベスト・ムービー。見ていないなら、今年のクリスマスは、ツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って、是非見て!

ちなみに、この映画に出ているローズマリー・クルーニーの「Mambo Italiano」は、世界中で大ヒットしました。

これもアメリカの歌手ですが、当時英国で人気のあった Vikki Carr 。

1969年ロンドン。小川 知子、美樹 克彦が来た時。アタシ、まるで渡辺プロダクション・ロンドン駐在員! 当時ロンドンには日本人なんて殆ど居ない時代。ロンドンに来る連中は皆アタシを頼って来ました。

1969年、こんな人も訪ねて来ました。ロンドンのフラットにて。

昔、原宿に「グラス」って言うお店があったのは知っていますか? かまやつの着ている、この毛皮のコートは、その「グラス」の、ヨーコがデザインしたもの。彼女のセンス、素晴らしかった。「グラスのヨーコ」今どうしているんだろ。ちなみにアタシが手に持っているレザー・コートは、ロンドンの Mr. Fish で特注したもの。このコートも素晴らしいデザイン! Mr. Fish を知っている人が居たら、かなりのファッション通。

かまやつのコート、その後アタシが譲り受けました。このコートで世界中を飛び廻っていたんですけど、どこへ行っても大好評でした。 でもアタシの2番目のカミさんに「汚い」と、捨てられました! そして、その後、アタシも捨てられたー! それにしても悔いが残る。 結婚のことではなくて、コートのことですよ!

これが Mr. Fish のコート。

「パープル・タウン」の人。

Mille Miglia 1992. Brescia, Italy. 1992年、イタリーで毎年行われているクラッシック・カーのラリー「ミレミリア」。フジテレビの番組で、堺 正章と組んで出た時。この時はアタシがドライブで、彼はナビゲーターだったのだけど、彼のアシストぶりは実に素晴らしかったです。この様子は、1992年6月28日にフジ・テレビで放映していますので、見た人居るかも。

2日目。山のコースを走行中、エンジン・ルームより出火、終わり! でも、この方、リタイヤなのに何故かはしゃいでいる! アタシの運転が、よほど怖かったんだろか!

それにしても、上の写真は、まずいだろうと言うことで撮り直し。で、これに。

その後、堺 正章を誘って、筑波サーキットで行われたマツダ主催のメディア対抗耐久レースに一緒に出場。写真を見ての通り、勿論、彼は NO. 1 ドライバーとしての待遇。元有名レーシング・ドライバーを差し置いて、オネエさん達を独占している!

 

次回は、アタシがどんな映画と音楽が好きか、見ていたかを、聴いていたかを、音も沢山聴いてもらおうと思います。それには、 iPad 用なり、パソコン用なり、スマート・フォン用なりのスピーカーを、是非買っておいて下さい。安いのは数千円からあります。でも、せめて1万円以上は出して! 出来れば一体型ではなくて左右に置く2個タイプで、アンプ内蔵タイプのスピーカーを買って。アマゾンやヨドバシ・カメラ等でピンキリで色々と、いくらでも有ります。

例えば、こんな感じ。

「カー・グラフィック」を、「GQ」を、「AKB 48」写真集を買ってきて、縮小しては見ませんよね? アタシのブログ、アタシの感性を感じるには、パソコンや iPad の大きい画面で見て下さい。スマート・フォンでは、アタシの感性が伝わりません! でもスマート・フォンでしか見られない人は、こう言うスピーカーもあります。iPad であろうが iPhone であろうが、いずれにしても簡易型スピーカーではなくて、オーディオ・システムと繋げて聴くのがベスト。

 

Tetsu Ikuzawa’s Sound, Music and Movies Style 1

アタシの生い立ちを話すと、皆が驚愕し、皆が面白いと言い、皆が本にするべきと言います。でも、ここで書き出すと先に進まないので、それはいずれ他の機会に書くとしても、この “Tetsu Ikuzawa’s Sound, Music and Movies Style” を書くには、少しは言わないと、何故アタシが幼少期から欧米の “Music and Movies” に囲まれていたかが伝わりません。

この写真は、若かりし頃のアタシの父です。「鬼畜英米」の時代にこれですよ!もう完全に非国民ですよね!

この写真の人は、アタシを育ててくれた人です。アタシが物心ついた時には、アタシは、この人と暮らしていました。彼女は明治時代にニューヨークに住んでいました。人種差別の激しい時代でしたので、アメリカに着いた時は泊めてくれるホテルがなくて苦労したそうです。勿論、飛行機なんて無い時代ですので、船で2ヶ月もかかって行っている時代です。そんな時代のニューヨークの話しを子供の頃、よくしてくれました。アタシは彼女のことを「おばちゃん」と呼んでいました。ちなみに、彼女とアタシは、血の繋がりはありません。

戦後の貧しい時代だった頃にも関わらず、幼い頃から帝国ホテルなどのウエーターが横に立っているようなレストランに連れて行かれて、彼女からテーブル・マナーを徹底的に教え込まれました。後に海外に行っても全く困ることが無かったのは、正に彼女の教育のおかげです。どこの国の、どのトップ・クラスのレストランに行ってメニューを渡されても、困ったことはありません。

アタシの子供の頃は、勿論テレビは無い時代です。進駐軍のジープを見かけると「ギブミー・チュウインガーム」と叫んでジープを追いかけていた年代です。ましてやオーディオなんて、有り得ない時代です。でも周りは、アメリカの音楽で、アメリカの文化で、満ち溢れていました。

この写真を見て! あの時代に、ちゃんとソックスを履いている!

だって上の写真から更に10年経っても、日本は、まだこんな状況ですよ。この方を見て、下駄! 彼は本田 宗一郎の長男、本田 博俊! 彼とも実に長い付き合いです。鈴鹿サーキットも富士スピードウエイも無い頃、荒川河川敷にあったホンダのテストコースで行われたレース・ミーティングの時。

 

フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース、シド・チャリシーと言って分かる人、このブログを見ている人の中には居ないだろーなー。

アタシのことを実の子供以上に愛してくれ、育ててくれた「おばちゃん」のことを、実はアタシはあまりよくは知ってはいません。でもダンスの好きだった彼女に連れられて、物心ついた頃から何かと言うとフレッド・アステアの映画に連れて行かれていました。Dance, Music and Movies Style は、その頃から培われています。

彼等の映画、見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て!

 

そして、こんなのにも父とおばちゃんに連れられて見に行っています。ミュージカル映画の代表作と言えば何と言ってもこれでしょ。1952年公開のジーン・ケリーの「雨に唄えば」。”Singin’ in the Rain” を唄いながらジーン・ケリーが踊るシーンはミュージカル映画の有名定番シーン。これ何回撮り直しているんだろと思ってしまいますが、土砂降りの雨の中で踊るシーンは圧巻です。見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て!

 

ちなみにジーン・ケリーの「雨に唄えば」の相手役、デビー・レイノルズは、アタシが大好きだった女優さんの一人。

1957年「タミーと独身者」の中で彼女の歌った主題歌「タミー」は、全米5週連続1位の大ヒットで、日本でもヒットしています。

ちなみにデビー・レイノルズのダンナは、歌手のエディー・フィッシャーだったって知っていますか? おしどり夫婦で有名だったけどねー・・・・・。

ちなみに「スター・ウォーズ」でレイア姫を演じていた、女優のキャリー・フィッシャーは、デビー・レイノルズと歌手のエディー・フィッシャーとの娘。

ちなみに、アタシがデビー・レイノルズを好きになったのは「雨に唄えば」ではなくて、ダンナのエディー・フィッシャーと夫婦で共演の、「歓びの街角」で。なにしろ彼女、可愛い。こんな映画を見ている人、居ないだろーなー。それにしてもアタシの記憶力、凄くない! それに、こんなのを持っているのも!

 

アタシが初めて知った俳優と女優さんは、初等科3年生の頃に1年上の上級生に教えてもらったゲーリー・クーパーとエリザベス・テーラー。初等科3年生の幼いアタシは、なんと浅草まで1人でブロマイドを買いに行っています! アタシが初めてブロマイドと言うものを見た時でもあります。アタシの行っていた学校が、如何にユニークだったか、そしてアタシのライフ・スタイルに如何に影響したかが分かるかと思います。ちなみに、その上級生のヒーローはロイ・ロジャースでした。ロイ・ロジャースと言って分かりますか?分からなければグーグルして。

ゲーリー・クーパー

エリザベス・テーラーは英国の女優さんだって知っていましたか?

アタシが記憶しているロイ・ロジャースのイメージはこんな感じ。ライフの表紙になるくらいですので、どのくらいアメリカでヒーローだったかが分かるかと思います。チューインガムの包み紙に彼の写真が使われるなど、当時のアメリカの子供達のヒーローでした。

 

ゲーリー・クーパーの「誰がために鐘は鳴る」は、やはりその頃、父とおばちゃんに連れられて見に行っています。この映画の主演女優のイングリッド・バーグマン、初等科5年生の時、大好きだった同級生の女の子がショート・ヘアーで、イングリッド・バーグマンにそっくりだと教員室の先生達に熱く語って笑われていました! ちなみに、その子は、後に「明日という字は明るい日と書くのね」で、アン 真里子の名前でシンガー・ソング・ライターとしてブレークした子です。ちなみに、その子はアタシの初恋の人! どんな人か知りたければグーグルして。今、あの子、どうしているんだろー。

見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て!

 

そして、この頃の映画で外せないのは、なんと言ってもこの映画。オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」。子供心ですらも、こんなにもキュートで、こんなにも新鮮で、こんなにも綺麗な女優さんが居るんだと、身震いがする程に感激したのを今でも憶えています。彼女はこの映画で1953年のアカデミー最優秀女優賞を受賞しています。如何に素晴らしい女優さんだったかが分かると思います。 この映画は必見。 見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て。 ちなみにアタシ、この映画、何度も見ています! そして彼女を見出して、彼女の素晴らしさを引き出した監督のウィリアム・ワイラーも素晴らしい。グレゴリー・ペックも素晴らしい。最後のシーンは、何回見ても、素晴らしい! 何しろ見て!

見て! この写真1枚だけで、彼女の魅力が伝わります。

 

そして、この映画。1953年公開のマーロン・ブランド (Marlon Brando) の「乱暴者(あばれもの)」(原題:The Wild One )。アタシが中等生の時にオートバイを教えてくれた上級生とで見に行っています。

見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て!

アタシにモーターサイクルのことを教えてくれた2人。この2人との出会いが無ければ、アタシの “Tetsu Ikuzawa’s Sound, Music and Movies Style” も、アタシの人生も、だいぶ違っていた筈。これはアタシが14歳の時の冬、初めての遠乗りで軽井沢に行った時。

この映画を見て早速マーロン・ブランドの真似をする! 只でさえこの時代にバイクに乗っている中学生なんて皆無だけど、中学生で、こんなコスプレしている人は、もっと皆無! このレザー・キャップは、当時渋谷の道玄坂にあった「カワシマ帽子店」で、見つけています。レザー・ジャケットは田村町にあったオートバイ用品店「高間商店」に、おばちゃんとで行って買ってもらったもの。それにしてもアタシの記憶力、凄くない!

どう考えても、この時代に中学生で、これはおかしいですよね! まあ、今でもおかしいですね! でも決まってますよね! アタシ、な、なんと、ヒゲを生やしている!

このレザー・キャップ、ちゃんとおばちゃんが取って置いてくれていました!今の奥さんが見つけ出し、何年か前のアタシの誕生日に、このようにアクリルのケースに入れて、サプライズでくれました。バックの写真も彼女の作。

 

そしてアタシにとっては外せない、ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」。

そしてアタシのヘアー・スタイルを見て! すっかりジェームス・ディーンになりきっているでしょ。

彼は大の自動車レース好きでした。 でも、このポルシェで Salinas でのレースに行く途中の公道で事故って若くして亡くなっています。これが彼の最後の写真です。

ここで!