Tetsu Ikuzawa’s MTB Life.

1945. My passion for wheels started very early.

アタシが、初めてマシン、機械と言うものに出会った時。

My first bike.

My second bike.

正田美智子様と当時の皇太子様が出会われた名門テニス・クラブ「旧軽井沢テニス・クラブ」。夏休中はアタシは、この自転車で毎日レッスンに通っていました。

軽井沢。

My third bike. 父と近所の仲良し、リュウちゃんと。

My first customized bike. Installed electric battery box, speed meter, horn and indicators with fipp out arrows!

今では、駅周辺に無残に山のように乗り捨てられている自転車ですが、当時の日本は戦後の貧しい時代、自転車すらも簡単には買えない、乗れない時代でした。 知り合いの町の自転車屋さんでは、1年間に売れた自転車は、たった1台だったそうです。そんな時代に、こんなビーチ・クルザー風の自転車があったのが驚き。これを買ってもらいました。

そして、早速改造。スピード・メーター、ホーン、バック・ミラー、両サイドはグリップのとこにあるレバーを引くと方向指示器が出てくる! 当時、こんなパーツを見つけてきたアタシも凄いけど、当時こんなパーツがあったなんて、信じられませんよね。

自作のバッテリー・ボックス、ツール・ボックスを装着。ダブル・ヘッドランプ!

 

1996年、Ikuzawa F-1 プロジェクトが頓挫、スッテンテンになって身一つで日本に引き揚げてくるも、気力、お金共に無く、ただ呆然とした日々が続いていました。

何かやりたくとも、そもそもがお金が無い! 家でボーッとする日が、ダラダラと続いていました。そんな時、ムスメが子供の頃に乗っていたサビサビの自転車がガレージに放っぽってあるのが、ふと目に入りました。 する事もないので何となく引っ張り出して近所を乗ってみると、これが何とも清々しいし、そして何よりも楽しい!

あの初めて自転車に乗れたときの、あの興奮が蘇ってきたのです。

しかし自転車を買うお金が無い!そんなある日、新聞の折り込みに近所のディスカウント・ストアのチラシが入っていて「マウンテン・バイク 9,800円」。

これだっ! と、溝の口にある、そのディスカウント・ショップに朝8時から並んで整理券を貰って、その9,800円のマウンテン・バイクもどきを、なけなしのお金をはたいて購入。

そこからムスメのサビサビの自転車と、9,800円のマウンテン・バイクもどきの2台とで、女房と2人で1時間から2時間の自転車乗りの毎日が始まりました。なにしろ他にする事がないので!そして何よりもお金がかからない!

そんなある日、友人が「かりにも元有名レーシング・ドライバー、お願いだからそんな自転車に乗らないで」と、アメリカの cannondale と言う MTB を、それも100万円もするトップ・モデルをポンとプレゼントしてくれました。勿論、女房用も。

持つべきは友なり。

それにしても自転車が、見ないうちに、あまりにも格好良くなっているのに驚かされました。

この赤い方のバイクが100万円もするモデル。なんともスタイリッシュでしょ。 ホィール、カーボン製!

そこから自転車の世界に、 MTB にハマリます。まず一番最初にしたことは、渋谷の東急ハンズに行って、自転車専門誌「BiCYCLE CLUB」のバックナンバーをごっそり買ってきてお勉強。そして東京から東京近郊の自転車屋さんめぐりが始まります。なんせ他にすることがないので、毎日、毎日、自転車屋さんめぐりをしていました。         そんなある日、東京中原街道にある「コーフー」と言うショップに寄った時、ショップのオーナーとおぼしき人が「生沢さんですか?」と声をかけてきた。そこから MTB で山を駆け下りるダウン・ヒルと言うのがあることを教えてくれます。そして長野の富士見パノラマ・スキー場へ誘ってくれました。 勿論、アタシ達はダウン・ヒル用のバイクなんか持っていなかったけどバイクまで貸してくれて。その後「コーフー」には、自転車のメンテナンスのやり方から全て教えてもらいました。  今ではそことは友達に。 この写真は、初めて自転車で山を駆け下りるダウンヒルを体験しに行った時のもの。こんなにも面白いものがあるんだと知った時。

ここから下界へ向かって駆け下ります。気持ち良さそうでしょ。

自転車の世界の若い子達は、アタシが元有名レーシング・ドライバーだなんて、全く知りません。ただの自転車屋業界のおじさんと思っています。なんと自転車業界の取材を受けるまでに!

自転車を始めて分かったのは、自転車のパーツは SHIMANO と言うブランドがほぼ 100% 独占していること。誰の自転車を見ても、どの自転車を見ても SHIMANO のパーツが使われていない自転車は無い!皆と同じはつまらないなーと思っていたら、たまたま友人が日本のブレーキ・メーカー大手の社長を紹介してくれて、その社長に自転車用のブレーキを作りません?と言ったらノリのいい社長で、作ってくれることに。  そこで、アタシが全てをプロデュース。

自作自演!

 

真ん中に座っている人が、アタシに MTB のことを一から教えてくれた「コーフー」の永井さん。

Team Ikuzawa 製、リア・ショックをカヤバと一緒に開発、発売。

F-1挫折で無一文になり、そこから選り好みをせずに地道に仕事をこなし、少しずつ経済的にも立ち直りだし、MTB をやる為のキャンピング・カーを買えるまでに!

そしてガレージには、クルマは1台も無くなり MTB のみに!

 

拘りはエスカレート MTB ダウンヒル・ティームを!

拘るアタシは、売っている MTB を買ってなんて言うのはイヤで、自分達で独自のバイクを設計製作、バイクはなんと Ikuzawa オリジナル!

日本の MTB ダウンヒル・チャンピオンシップは、全てのシリーズで チャンピオン・シップ・タイトルを獲得しました。

つまり、1シーズンに、 F-1 のモナコ・グランプリ、アメリカのインディー500、スポーツ・カー・レースのルマン24時間に勝ってしまったようなもの。

こんなこと、100年の日本の自転車業界の歴史上、初めてです。

Team Ikuzawa MTB Down Hill Team Cars.

あのホンダが MTB を開発していたなんて知っていましたか?     趣味は高じて、その開発のお手伝いをするまでに!

ホンダの MTB が完成した時、試乗のチャンスを設けてもらいました。

真ん中は、ホンダ広報の市川さん、右は本田技術研究所の MTB プロジェクト担当の水田さん。

それで、現在こんなことになっています。

Tetsu Ikuzawa’s Restaurants Life.

アタシは「美味しいものを食べる」「美味しいワインを飲む」ことが大好きです。

趣味のモーターレーシングで世界中を旅行していたので、世界中の美味しいものを食べ、美味しいワインを飲みました。何も高級レストランで、と、言っているのではありません。パブにだって行きました。

基本的には、行列するお店、何ヶ月も前から予約なんて言うお店には、過去から現在に至るまで、全く行きません。

いずれにせよ、どこの国でもレース場って郊外にあるので、その国々の、本当のローカルな食べ物、ワインを飲み比べすることが出来ていたのかもしれません。

今でも、ミシェラン・ブックに載っている類いのレストラン、1ヶ月前から予約しなければならないレストランなんて、まず行きません。





















レストランではないですけど、こんなのも。「GLENN MILLER 」サウンドを聴きながらのディナー。

日本では、通常このようなコンサートは何とかホールとかでやりますけど、海外ではディナーしながらなんて言うのが多いです。これは日本では非常に珍しいディナーをしながらグレン・ミラー・サウンドを。

知らない人達との一緒のテーブルはイヤなので、友人達を誘って1テーブルを貸し切り!

右から、六本木ヒルズにビルディングがある 「ハリウッド化粧品」その創立者メイ牛山の長男、勝利君。彼とは1966年にパリで、信じられないようなきっかけで出会い、パリやロンドンで一緒に遊んでいます。英国までアタシのレースも見に来ています。

この時代は、1ドル360円、1ポンド1,008円、しかも海外に持ち出せるお金は、たったの500ドルまで。そんな時代に、彼はパリで、なんとフレンチブルーのポルシェ 911 に乗っていました!その後タルガにも。どうやって買うお金を持ち出したのでしょう。

アタシの右手側、牛山の奥さんのマーサ。

フランソワーズ・サガンの 「悲しみよこんにちわ」 を翻訳した朝吹 登水子(新潮文庫 1955年発売)の姪で、福沢 幸雄(つまり福沢諭吉)の親戚にもなる。

「悲しみよこんにちわ」 は1957年にジーン・セバーグ主演で映画化。

この映画、中等部か高等部の頃にアタシ日比谷映画館かに1人で見に行っている。なつかしー。 このマーサとも1960年代からの知り合い。

真ん中、アタシの奥さん。

その隣、アタシ達の友人の加藤さん。

向かって左から2人目、吉田 泉さん。

通常は広告代理店のサラリーマンなんだけど、大のモータースポーツ・マニア。

毎年、会社を休んでは、ドイツ、ニュルブルクリンクの24時間レースにポルシェで出ているくらいの本格的マニア! 彼とは10年くらい前に、ニュルブルクリンクの24時間レースの時パドックで運命的に出会っている。同じ青山の床屋さん繋がりで出会うことに。 熱烈な 「生沢 徹」 ファン。

ちなみに彼の奥さんの実家の軽井沢の別荘は、アタシんちの別荘の1軒はさんでのご近所さん。ちなみに、その家は元首相、三木 武夫さんち。

ちなみに、アタシんちの軽井沢の別荘の右隣は 「青い山脈」 の石坂 洋次郎さん、左隣は講談社社長の野間さん宅。その野間さんちの隣が三木さんちになる。

一番左は、この日来る筈だった、又は一番来たかった筈の友人が、なんと急なドイツ出張で来られなくなりピンチ・ヒッターで来た広告代理店の川崎さん。(グレン・ミラーを全く知らない世代)

アタシは、人との出会い、縁、繋がりを大事にしています。

Tetsu Ikuzawa’s PC Life Style.

日本であろうが、海外であろうが、旅行中は3台のノート・パソコンを常時並列で使っています。従って世界中のどこに居ようが、パソコンが壊れてやり取り出来ないと言うことは今まで1度もありません。

プロバイダーは3社と契約していて、ドメインも co.jp, .jp, .com, 等、20程登録していますので、どこのサーバーがトラブルを起こしても、必ずどこかで繋がるようにしています。

ちなみにアタシは、スマート・フォンは、仕事上、使いません。   日本、海外共、携帯電話は、所謂ガラケー。

例えば、これは、ドイツかどこかのホテルで。

これはヨーロッパでの移動中で、車内で編集作業をしていたりします。

London の、自宅のオフィス。

London の、会社のオフィス。

Monaco の自宅のオフィス。

Tokyo の自宅のオフィス。

Atelier のオフィス。

Tetsu Ikuzawa’s mobile phone style.

携帯電話にも拘り、カスタマイズしたりもしています。

ちなみに、アタシの現在の携帯電話。 右、日本用、左、英国用。

Tetsu Ikuzawa’s Racing Life.

最近は、こんなことをしています。

1968年以前に製造されたクルマで競うクラッシック・カー・レース。

ドライバーは勿論、メカニック、ドライバーの友人達、主催側のスタッフ達など参加者全員が、そして観客も、その当時のファッションで来ることを求められています。 とてもオシャレなイベント。

この時のアタシのティームのテーマは 「進駐軍」。

アタシが、なんで「赤いセーター」を着ているのか、分からなければ、Google で「生沢 徹(いくざわ てつ)赤セーター」で検索して。

ポールポジション!

見よ、左フロントタイヤを!


英国の FRP 製の軽いレーシング・エランやレーシング・ジネッタ等に対抗してアタシは重いスティール製ボディー 4座席のポルシェ 911 で、しかもアタシよりも若いドライバー達を相手に、デビュー・レースで、優勝!

グリッド・ガールのオネエさんから優勝の祝福のキスをされる時、  ディープ・キスをしようと試みて、頑なに拒否されているアタシ!

観客の一人が、ペプシ・コーラをくれました。 分かっている!     何故なのか、分からなければ Google で検索して。