Tetsu Ikuzawa’s Sound, Music and Movies Style 2

1950年代の始め。ウチに来た初めてのオーディオ・システム!

ZENITH L565。当時のアメリカの家電メーカー ZENITH のラジオ・レコード・プレイヤー。

敗戦直後の日本にオーディオ・システムなんて有るわけもなく、クルマや電化製品は、進駐軍が帰国時に日本人相手にぼろ儲けの小遣い稼ぎで売っていくものを買うしか、当時の日本人には入手方法はありませんでした。

これは、おばちゃんと進駐軍の将校の家に行って、むこうの言い値で買ってきたもの。おばちゃんは、お金持ちだったようです。当時のアタシ達にとっては、それは信じられない程に素晴らしい音のように思えました。この写真は、アタシのグリコのオマケみたいなカメラで撮ったものでよく見えませんが、進駐軍の家に行った時に撮影したものです。

はい、まだちゃんと持っています! 久しぶりに引っ張り出してきて見ましたけど、こんなんで「素晴らしい音」と、感激していたんですね。正に時代を感じさせますよね。

 

1960年代始めの頃の東京の自宅。左側の本棚にフランク・シナトラのレコードが見えます。 何故かテレビが2台もある! カラーと白黒かな?

ちなみに、アタシが見ている雑誌に注目!  英国の「MOTOR SPORT」 この時代に英国の自動車雑誌を定期購読している人なんて、モータースポーツ業界は勿論のこと、モーター・ジャーナリストと呼んでいる人達や自動車業界ですらも皆無です。もしかしたら現在でも?

1970年代の東京の自宅。今でこそ、ホーム・シアターなんて言っていますけど、アタシとっくの昔から試みています。プロジェクター式のテレビなんてあるわけもなく、ビデオ・プレイヤーすらも無い時代です。 当時売っているテレビで一番大きなサイズのテレビを購入しています。今では考えられませんよね。これが入手出来る最大サイズのテレビだったなんて。丁度リモコンが出だした頃です。

1980年。ようやくプロジェクター式のシステムが日本でも発売される。

そして現在。アタシの「拘り」は、専門誌に取材される程!それも表紙です! 

最初は JBL と言うスピーカーを使っていたのですが、音があまり好みでなく、現在は昔から持っていた古いオンキヨーのスピーカーを引っ張り出してきて修理して使っています。 そんなスピーカーでも、1個数百万円のスピーカーにも引けを取らない素晴らしい音がしています!

ロンドンの自宅。

モナコの自宅。小さなアパルトマンでしたけど、最低限でも、これくらいはやっています。左に、サブ・ウーファーが見えています。

アタシのパソコンでの音の環境は、現在は、こんな感じ。東京のオフィス。アンプ BOSE PLS-1310, スピーカー BOSE 363 West Borough.

これが何だか分かる人達は、パソコンでインターネットで音楽を聴いている人。

「アトリエ」のオフィス。アンプ BOSE PLS-1310, スピーカー BOSE 464 West Borough.

「アトリエ」のリビング。

オーディオ・マニアが見たらバカにするような安い機材しか、又は中古の機材しか使っていません。でもアタシは、いつでも、どこに居ようが、映画、音楽が楽しめるようにしています。

 

アタシを育ててくれた、おばちゃんに始まり、行っていた学校、かまやつ ひろし、スパイダース、堺 正章、田邊 昭知、三保 敬太郎、ミッキー・カーチス、小川 知子、黒澤 明の息子、タップ・ダンスで有名だった中川 三郎の娘の中川 姿子、沢村 みつ子等、そんな連中がいつも周りに居ました。式場 壮吉は、なにかと言うとジョニー・マティスの「ミスティー」を歌っていました。勿論カラオケなんて無い時代ですから、ジャズ・クラブで、生バンドをバックに! 銀座にあったジャズ喫茶「アシベ」にスパイダースのステージを見に行ったり、東京駅前にあった丸の内クラブに、小川 知子や、いしだ あゆみ達とでミッキーのライブを見に行ったり、フォー・フレッシュメンが日本に来た時は、誰かがティケットを手配し皆してコンサートに行ったり。

アタシは、映画、音楽が好きな人達に、映画、音楽業界の人達に、いつも囲まれていました。

ジャズ・ピアニストの三保 敬太郎って知っていますか? 昔、夜のテレビ番組で「11 PM」と言うのがあったのは、知っていますよね? その「11 PM」のテーマ曲「ダバダバダバダバダバダー」を作曲した人が三保 敬太郎。彼とは学生時代に軽井沢で知り合いました。彼はその後カー・レースを始めたので、レースにもよく一緒に行きました。まだ鈴鹿サーキットも無い、富士スピードウエイも無い頃、唯一モーター・スポーツもどきが出来たのは日本スポーツカークラブでのクラブ・イベントのみ。この写真は1963年、伊豆の長岡と言う小さな温泉町の裏山でやっていたヒル・クライムの時のもの。右が三保 敬太郎。左は、アタシの最初の奥さんとなるヒロコさんとの、これが初デートです!

1963年。信じられます!箱根ターンパイクを閉鎖してレースしていたなんて! これも、日本スポーツカークラブでのイベント。箱根ターンパイクを閉鎖してヒルクライムをやった時。左、式場 壮吉、彼の隣、三富 邦子、センター、銀座のスキーショップ「秀山荘」の大西 章夫、パラソルをさしている人、ミッキー・カーチスと彼のモーガン。後ろに見える赤のポルシェ 356 は、壮吉のクルマ。 ちなみにヒロコさんをアタシに紹介してくれたのは、三富 邦子。 

1964年。オートレース場でレースしていたなんて信じられます! 川口オートレース場での、ストック・カーレースの時。後ろに見える赤のクルマは、この時アタシが乗って優勝のプリンス・グロリア。

1964年。アタシの初めての海外旅行は、モータースポーツの本場、英国のレーシング・スクールに行く為に、三保 敬太郎とで、世界1周旅行に行きました。

Jim Russell Racing School at the Snetterton Circuit in UK in 1964.

Regent Street in London in 1964. 現在のロンドンを知っている人には信じられないでしょうね。これリージェント・ストリートですよ! 人とクルマがいない! 当時のロンドンは、こんなにも淋しかったです。勿論、ロンドンのジャズ・クラブ「ロニー・スコット」に行っています。

初めての海外旅行。時差。疲れ果てて公園でボーっとしているとこ。当時、海外旅行すると、航空会社が必ずくれたバッグに注目。BA 英国航空になる前の BOAC! この旅行でパリに寄った時、三保 敬太郎の紹介で福沢 幸雄に出会っています。それがきっかけで彼とは仲良しに。ちなみに、この3枚の写真の撮影者は、英国で合流した浮谷 東次郎。

ヨーロッパを一巡りして、帰り道にハワイに寄りました。だってエルビス・プレスリーの「ブルー・ハワイ」を見たばっかりですもん。でも映画のイメージとは大違いで、ワイキキビーチなんて藁葺きの家が建っているだけの淋しいもの。4,5日滞在する予定だったのですが、あまりの侘びしいとこなので1泊で帰国することに。あの時、ワイキキビーチに土地を買っておけばなー。ホノルルから日本への機内はアスリート達で満席。だって東京オリンピックの直前! そんな昔のことです。

ちなみに式場壮吉が、必ず歌っていたジョニー・マティスの「ミスティー」は、これ。

1966年、ロンドン・ヒースロー空港。スパイダースの初めての海外旅行。ヒースロー空港へ迎えに行った時。カメラを持っているのが堺 正章、後列横を向いているのが井上 順、後列センター田邊 昭知、かまやつ ひろしが写っていないのは、彼がこの写真を撮っているから。

夜は皆を引き連れて食事に。連れてったレストランの若いウエイトレスが「スパイダースか?」と聞いてきた。多分、彼等が来たと言う記事が新聞の芸能欄にでも載っていたんでしょうね。

夕食後、ロンドンの夜を観光。ピカデリー・サーカス。

1960年代からは英国に住んでいたので、当然、聞こえてくるのは英国人の音楽が多かったです。エンゲルベルト・フンパーディング (Engelbert Humperdinck )と言う歌手は知っていますか?

英国人の歌手と言えば、やはりトム・ジョーンズ (Tom Jones)でしょ。

Petula Clark と言う英国の歌手は知っていますか? モータースポーツの本場でレースをすると単身英国に渡りロンドンに住みだしたものの、物事はそうは簡単に進むはずもなく、安下宿屋の部屋で悶々としてホームシックに陥っている時、ラジオから流れていたのは、ペトゥラ・クラーク (Petula Clark) の「ダウンタウン」。

彼女の「チップス先生さようなら」原題:Goodbye Mr. Chips は、ロンドンで見ています。

1966年、まだ友達も一人も居なくて、ホームシックで落ち込んでいる時、それでも映画好きのアタシが、ロンドンで初めて見に行った映画が、ジョージ・ペパード主演の「ブルー・マックス」。戦争もの、飛行機ものが好きな人は必見。実在したドイツの戦闘機パイロットの話。テレビで何度も放映していますけど、見ていないならツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って見て!

1969年上映「ミニミニ大作戦。原題:Italian Job. これもロンドンで見ています。2003年にリメイクされていますが、このオリジナルの方が断然良いです。主演はマイケル・ケイン!

アタシ達の年代で忘れていけないのは、ダニー・ケイにビング・クロスビー。日本は年末間近になるとテレビではお約束の「忠臣蔵」。それと同じように英国、アメリカでは、クリスマス時期になると必ずテレビでやるのが、ダニー・ケイ、ビング・クロスビー、ローズマリー・クルーニーの、1954年公開の「ホワイト・クリスマス」。アタシは子供の時に父とおばちゃんに連れられて見に行っています。その後、英国に半世紀近く住み、年末年始もロンドンで何回も過ごしましたので、この映画、もう何十回と見ています。でも何回見てもほっこりします。

これは、クリスマス映画のベスト・ムービー。見ていないなら、今年のクリスマスは、ツタヤで借りてくるか、アマゾンで買って、是非見て!

ちなみに、この映画に出ているローズマリー・クルーニーの「Mambo Italiano」は、世界中で大ヒットしました。

これもアメリカの歌手ですが、当時英国で人気のあった Vikki Carr 。

1969年ロンドン。小川 知子、美樹 克彦が来た時。アタシ、まるで渡辺プロダクション・ロンドン駐在員! 当時ロンドンには日本人なんて殆ど居ない時代。ロンドンに来る連中は皆アタシを頼って来ました。

1969年、こんな人も訪ねて来ました。ロンドンのフラットにて。

昔、原宿に「グラス」って言うお店があったのは知っていますか? かまやつの着ている、この毛皮のコートは、その「グラス」の、ヨーコがデザインしたもの。彼女のセンス、素晴らしかった。「グラスのヨーコ」今どうしているんだろ。ちなみにアタシが手に持っているレザー・コートは、ロンドンの Mr. Fish で特注したもの。このコートも素晴らしいデザイン! Mr. Fish を知っている人が居たら、かなりのファッション通。

かまやつのコート、その後アタシが譲り受けました。このコートで世界中を飛び廻っていたんですけど、どこへ行っても大好評でした。 でもアタシの2番目のカミさんに「汚い」と、捨てられました! そして、その後、アタシも捨てられたー! それにしても悔いが残る。 結婚のことではなくて、コートのことですよ!

「パープル・タウン」の人。

Mille Miglia 1992. Brescia, Italy. 1992年、イタリーで毎年行われているクラッシック・カーのラリー「ミレミリア」。フジテレビの番組で、堺 正章と組んで出た時。この時はアタシがドライブで、彼はナビゲーターだったのだけど、彼のアシストぶりは実に素晴らしかったです。この様子は、1992年6月28日にフジ・テレビで放映していますので、見た人居るかも。

2日目。山のコースを走行中、エンジン・ルームより出火、終わり! でも、この方、リタイヤなのに何故かはしゃいでいる! アタシの運転が、よほど怖かったんだろか!

それにしても、上の写真は、まずいだろうと言うことで撮り直し。で、これに。

その後、堺 正章を誘って、筑波サーキットで行われたマツダ主催のメディア対抗耐久レースに一緒に出場。写真を見ての通り、勿論、彼は NO 1 ドライバーとしての待遇。元有名レーシング・ドライバーを差し置いて、オネエさん達を独占している!

 

次回は、アタシがどんな映画と音楽が好きか、見ていたかを、聴いていたかを、音も沢山聴いてもらおうと思います。それには、 iPad 用なり、パソコン用なり、スマート・フォン用なりのスピーカーを、是非買っておいて下さい。安いのは数千円からあります。でも、せめて1万円以上は出して! 出来れば一体型ではなくて左右に置く2個タイプで、アンプ内蔵タイプのスピーカーを買って。アマゾンやヨドバシ・カメラ等でピンキリで色々と、いくらでも有ります。

例えば、こんな感じ。

「カー・グラフィック」を、「GQ」を、「AKB 48」写真集を買ってきて、縮小しては見ませんよね? アタシのブログ、アタシの感性を感じるには、パソコンや iPad の大きい画面で見て下さい。スマート・フォンでは、アタシの感性が伝わりません! でもスマート・フォンでしか見られない人は、こう言うスピーカーもあります。iPad であろうが iPhone であろうが、いずれにしても簡易型スピーカーではなくて、オーディオ・システムと繋げて聴くのがベスト。