Tetsu Ikuzawa’s audio life 3.

物によっては50年以上も前の物、ただ倉庫に放っぽってあった大量のオーディオ機器、どうせなら音を出してみようと、古いオーディオ機材を色々と引っ張り出して並べだしました。

そして 「昔の機材だけで、いかにお金をかけずに良い音を出すか」 に チャレンジすることに。

すると、古くからの友人の 「童夢」 の林みのるが (知らない人は、Google して)昔から大切に持っていた、アメリカの老舗スピーカー・メーカーの ALTEC を寄贈してきました。アタシが50年以上も前、学生時代から持っていた 「クライスラー」 と言う日本のスピーカー・メーカーが、当時ベンチマークにしていたスピーカーです!
両サイドが、その ALTEC で、これはなんと 50年も前のものです。 素晴らしい音がしています。最近、林みのるが、あのスピーカー返してくれと言ってきました!それ程に後悔させる良い音のするスピーカーです。言い直しますけど50年も前のスピーカーの話しですよ。

「SP レコード、モノラル・LP レコード、ステレオ・LP レコード、オープン・リール、カセット・テープ、CD、SACD、インター・ネット・ラジオと、音の変遷、音の歴史の全てを体感出来ます」!

こんな風に置きだしたら、まるで秋葉原のオーディオ屋さんのごとく、リスニング・ルーム状態!

ロンドンからのオーディオ機材も沢山戻ってきたので、それは凄い量のオーディオ機器が倉庫に置いてあります。なにしろ英国には、1966年から半世紀も住んでいましたので。

 

「昔の機材だけで、いかにお金をかけずに良い音を出すか」「お金は掛けない」 が、このプロジェクトのメイン・ポイント

アトリエにある 「リスニング・ルーム風」 は、現在こんな感じに。

このチェアは、イケアのセールで 980円!ダイニング・テーブルも、 もちろんイケア。全て自分で組み上げました。

ちなみに、この写真は、アメリカ、ハリウッドのムービー・メーカーが「Tetsu Ikuzawa」 のドキュメンタリー映画を創ると取材に来た時。

買い足したのは CD プレイヤーだけ。なにしろアタシの時代には、CD は無かったので!

ワークショップも、音を充実させることに。

古い ONKYO Scepter 1001、ボロボロのエッジを張り替えて、 Snap-on カラーに合わせてペイント。オーディオ・マニアはバカにしますが、1本数百万円するスピーカーよりも、素晴らしい音がしています!

ついでに中国製の冷蔵庫も Snap-on カラーに!

オープン・リールから、な、なんと、音がでない!  こんな感じで、76歳のジジイが、孤軍奮闘中!

リールは Team Ikuzawa 特製!

Tetsu Ikuzawa’s audio life 2.

下の写真のスピーカーは、60年近くも前に、アタシが大学生の頃に親に買ってもらったスピーカーです。

その後、決して環境は良くない倉庫に、ずっと放っぽってあったままです。音が出るかも分かりませんでした。「クライスラー」 と言う日本のスピーカーです。

アタシの大学生時代、1950年代の東京には「ジャズ喫茶」と言う、レコードをかけて聴かせてくれる喫茶店が沢山ありました。

このスピーカーは、学校帰りに寄る、新宿のジャズ喫茶に有ったスピーカーで、あまりにも素晴らしい音だったので、秋葉原へ行って同じものを親に買ってもらいました。

想い出のスピーカーです。

その後、50年間、半世紀もの間、倉庫に放っぽってあったままになっていて、1回も音を出していません! 「これを鳴るようにしよう」  なんて言うことにチャレンジしようとしています。

知り合いのオーディオ・マニアが調べたら:

クライスラー電気(株)のことを調べましたが、ネットには60年代後半からのモデルは出ています。このクライスラー電気は「昭電社」…などの社外ユニットを使い、エンクロージャーとネットワークを含めた設計で勝負していた会社だそうです。

当時、クライスラー電気の試聴室には、世界最高峰と云われた ALTEC のスピーカーと、クライスラー製のスピーカーとが並べられていて、 どれだけ ALTEC に似ているか比べられるようになっていたとか。これは1960年代初期の話です。

残念ながら、12H-70 に関しては何も資料は見つかりません。恐らく、当時、あまり一般的では無かった製品なので、誰も資料や現物を持っていない…ということかと思われます。昭和25年から始まっている会社のようですが、恐らく最初から ALTEC を目指していたのではないでしょうか? ちなみにクライスラー電気の製品は、アマチュア無線のマニアがよく使っていたそうです。 と、知り合いが。

以下の写真は、1960年代始めの頃の自宅。子供がオーディオなんて有り得ない時代です。 でもこの頃すでにレースで勝ち続けていてトロフィーだらけ。つまり、親に買ってもらわなくても、自分で買えるくらいに、学生ながら既に充分に稼いでいた!

SONY のオープン・リール・プレイヤーも有る!

先日、オーディオ仲間とで、倉庫で音を出しました!

50年間も、ずっと倉庫に放ってあったままで、半世紀もの間1度も音を出したことがなかったにもかかわらず、なんとそこからは信じられない素晴らしい音が!

全員が驚愕! しばらく聞き惚れました。

おそらく現存する唯一の 「CHRYSLER 12H-70」。

それにしても50年間、音の世界のテクノロジーの進歩は全く無かったと言うことになります! スピーカーに何百万円、いえ何千万円もかける人が居るなんてアタシには全く考えられません。

Tetsu Ikuzawa’s audio life.

元々は、アタシはラジオ少年。(今で言うならパソコン少年?)

下の写真は小学生の時の作。 実に70年も前の作品。

未だ終戦後の貧しい日本、情報も限られているあの時代に、小学5年生で、これを自作しているのが凄くない?

重箱を流用しての鉱石ポータブル・ラジオ。今なら iPad! でも「鉱石ラジオ」って言って分かる人、今、居るのかしら?

これは、筆箱を流用しての鉱石ポータブル・ラジオ。 今なら iPhone!

これは勉強机では有りません。 アタシの初めてのワークショップ。 あのまま続けていれば、アタシ、盛田昭夫かスティーブン・ジョッブスになっていたかも!

「断捨離」なんて世の中では言っていますが、アタシは、育てのオバアちゃんに「モノは大切に」 と言われて育ちました。お陰で今までのオーディオ機材は「全て」 そう「全て」捨てずに取ってあります!

SONY の、日本初の家庭用ビデオ・コーダーも、有ります。

KENWOOD って、昔は TRIO って言っていたのは、知っていますか?

ところで、KENWOOD ってモータースポーツの世界では熱心にスポンサー活動を長らくしていますが、実は KENWOOD を(当時はまだ TRIO)モータースポーツの世界に引きずり込んだのは、アタシ。

アマチュア無線もやっていました。世界中と「CQ、CQ」って、やっていました。無線機は、勿論 TRIO 製。

当時、家にはこんなアンテナを立てていました!

勿論、ラジカセあります。

これらの写真は、あくまでも、ほんの1部です!

この辺は、オーディオ・マニアだとアタシが何に拘っていたかが分かるかも。


Tetsu Ikuzawa’s motor racing life begun from the this starting line in 1958 age 15.

1958年、アタシが15歳の時。

浅間山の麓、浅間高原で行われた「浅間火山レース」が、アタシのモータースポーツの世界へのデビュー。

土砂降りの雨の中、スタートラインに並び前方を見据えるアタシの凛々しい表情を見よ!

主催者は最年少と言うことで、レース・ナンバー 1 を、くれました。

この写真が、アタシの人生を決定した瞬間。正にこのスタートラインが、アタシの人生を決定するスタートラインだったと言えます。

初めてのレース。しかも雨。その上、高地。初心者のアタシは何の知識も無く、防水、キャブ・セッティング等なんの対策もしていずでミス・ファイヤするエンジンになすすべ無く、ただエンジンを見つめながらの走行。

I was so slow so that next race was already on the grid and officials did not allowed me to cross the line when I arrived the start finish line! But I received the trophy of “Fighting Spirit Prize”.

アタシがゴールする時には、あまりの遅さから次のレースのバイクが、スタート・ゴール・ラインに並んでいてアタシ、ゴール・ラインを通過させてもらえずで、なんとゴール手前でコースから追い出される!  そんな散々な結果だったにも関わらず、こんなにも面白いものが世の中にあるんだと知った瞬間。でも、15歳での参加で最年少だったことで「敢闘賞」を受賞!

このレースするバイクで、なんと東京の自宅から軽井沢の家まで自走して行きました。途中はトラブル続きで、押したりしながら8時間もかかって辿り着いています! この写真は、東京から8時間もかかって辿り着いた軽井沢の家で。レース用なのでスタンドが無いので柱に立てかけている。

レース当日は、このバイクに乗って軽井沢の家を夜明けに出発し浅間山のレース場へ、そしてそのままレース! そしてレース後そのまま乗って帰ってくる。

まさに、古き良き時代の話しです。

 

Exactly 60 years later in 2018, I am older but still a racing driver and winning sometimes!

そして60年後、2018年もアタシ、レースしています! 若い連中を相手に優勝もしています!

若い彼等は、レーシング・エランや、金に糸目をつけずのレーシング・ジャガー E-Type だったり。 それに対してアタシは、重いスティール製ボディーの4座席、しかもリア・エンジンの大変に不利なポルシェ 911 で、アタシは勝っています。 凄くない?

75歳での優勝は、日本のモーターレーシングの歴史上、最年長!

多分、世界レベルでも! もしかしたらギネス・レコード?

Tetsu Ikuzawa’s MTB Life.

1945. My passion for wheels started very early.

アタシが、初めてマシン、機械と言うものに出会った時。

My first bike.

My second bike.

正田美智子様と当時の皇太子様が出会われた名門テニス・クラブ「旧軽井沢テニス・クラブ」。夏休中はアタシは、この自転車で毎日レッスンに通っていました。

軽井沢。

My third bike. 父と近所の仲良し、リュウちゃんと。

My first customized bike. Installed electric battery box, speed meter, horn and indicators with fipp out arrows!

今では、駅周辺に無残に山のように乗り捨てられている自転車ですが、当時の日本は戦後の貧しい時代、自転車すらも簡単には買えない、乗れない時代でした。 知り合いの町の自転車屋さんでは、1年間に売れた自転車は、たった1台だったそうです。そんな時代に、こんなビーチ・クルザー風の自転車があったのが驚き。これを買ってもらいました。

そして、早速改造。スピード・メーター、ホーン、バック・ミラー、両サイドはグリップのとこにあるレバーを引くと方向指示器が出てくる! 当時、こんなパーツを見つけてきたアタシも凄いけど、当時こんなパーツがあったなんて、信じられませんよね。

自作のバッテリー・ボックス、ツール・ボックスを装着。ダブル・ヘッドランプ!

 

1996年、Ikuzawa F-1 プロジェクトが頓挫、スッテンテンになって身一つで日本に引き揚げてくるも、気力、お金共に無く、ただ呆然とした日々が続いていました。

Ikuzawa; the team that became Stewart Grand Prix

何かやりたくとも、そもそもがお金が無い! 家でボーッとする日が、ダラダラと続いていました。そんな時、ムスメが子供の頃に乗っていたサビサビの自転車がガレージに放っぽってあるのが、ふと目に入りました。 する事もないので何となく引っ張り出して近所を乗ってみると、これが何とも清々しいし、そして何よりも楽しい!

あの初めて自転車に乗れたときの、あの興奮が蘇ってきたのです。

しかし自転車を買うお金が無い!そんなある日、新聞の折り込みに近所のディスカウント・ストアのチラシが入っていて「マウンテン・バイク 9,800円」。

これだっ! と、溝の口にある、そのディスカウント・ショップに朝8時から並んで整理券を貰って、その9,800円のマウンテン・バイクもどきを、なけなしのお金をはたいて購入。

そこからムスメのサビサビの自転車と、9,800円のマウンテン・バイクもどきの2台とで、女房と2人で1時間から2時間の自転車乗りの毎日が始まりました。なにしろ他にする事がないので!そして何よりもお金がかからない!

そんなある日、友人が「かりにも元有名レーシング・ドライバー、お願いだからそんな自転車に乗らないで」と、アメリカの cannondale と言う MTB を、それも100万円もするトップ・モデルをポンとプレゼントしてくれました。勿論、女房用も。

持つべきは友なり。

それにしても自転車が、見ないうちに、あまりにも格好良くなっているのに驚かされました。

この赤い方のバイクが100万円もするモデル。なんともスタイリッシュでしょ。 ホィール、カーボン製!

そこから自転車の世界に、 MTB にハマリます。まず一番最初にしたことは、渋谷の東急ハンズに行って、自転車専門誌「BiCYCLE CLUB」のバックナンバーをごっそり買ってきてお勉強。そして東京から東京近郊の自転車屋さんめぐりが始まります。なんせ他にすることがないので、毎日、毎日、自転車屋さんめぐりをしていました。         そんなある日、東京中原街道にある「コーフー」と言うショップに寄った時、ショップのオーナーとおぼしき人が「生沢さんですか?」と声をかけてきた。そこから MTB で山を駆け下りるダウン・ヒルと言うのがあることを教えてくれます。そして長野の富士見パノラマ・スキー場へ誘ってくれました。 勿論、アタシ達はダウン・ヒル用のバイクなんか持っていなかったけどバイクまで貸してくれて。その後「コーフー」には、自転車のメンテナンスのやり方から全て教えてもらいました。  今ではそことは友達に。 この写真は、初めて自転車で山を駆け下りるダウンヒルを体験しに行った時のもの。こんなにも面白いものがあるんだと知った時。

ここから下界へ向かって駆け下ります。気持ち良さそうでしょ。

自転車の世界の若い子達は、アタシが元有名レーシング・ドライバーだなんて、全く知りません。ただの自転車屋業界のおじさんと思っています。なんと自転車業界の取材を受けるまでに!

自転車を始めて分かったのは、自転車のパーツは SHIMANO と言うブランドがほぼ 100% 独占していること。誰の自転車を見ても、どの自転車を見ても SHIMANO のパーツが使われていない自転車は無い!皆と同じはつまらないなーと思っていたら、たまたま友人が日本のブレーキ・メーカー大手の社長を紹介してくれて、その社長に自転車用のブレーキを作りません?と言ったらノリのいい社長で、作ってくれることに。  そこで、アタシが全てをプロデュース。

自作自演!

 

真ん中に座っている人が、アタシに MTB のことを一から教えてくれた「コーフー」の永井さん。

Team Ikuzawa 製、リア・ショックをカヤバと一緒に開発、発売。

F-1挫折で無一文になり、そこから選り好みをせずに地道に仕事をこなし、少しずつ経済的にも立ち直りだし、MTB をやる為のキャンピング・カーを買えるまでに!

そしてガレージには、クルマは1台も無くなり MTB のみに!

 

拘りはエスカレート MTB ダウンヒル・ティームを!

拘るアタシは、売っている MTB を買ってなんて言うのはイヤで、自分達で独自のバイクを設計製作、バイクはなんと Ikuzawa オリジナル!

日本の MTB ダウンヒル・チャンピオンシップは、全てのシリーズで チャンピオン・シップ・タイトルを獲得しました。

つまり、1シーズンに、 F-1 のモナコ・グランプリ、アメリカのインディー500、スポーツ・カー・レースのルマン24時間に勝ってしまったようなもの。

こんなこと、100年の日本の自転車業界の歴史上、初めてです。

Team Ikuzawa MTB Down Hill Team Cars.

あのホンダが MTB を開発していたなんて知っていましたか?     趣味は高じて、その開発のお手伝いをするまでに!

ホンダの MTB が完成した時、試乗のチャンスを設けてもらいました。

真ん中は、ホンダ広報の市川さん、右は本田技術研究所の MTB プロジェクト担当の水田さん。

それで、現在こんなことになっています。